ハーバード白熱教室in東京大学 2コマ目

念願の再放送。
1コマ目をちらりと見た限り、受講者インタビューの部分など、若干再編集されているような気がする。
入浴を済ませ、2コマ目からじっくりと。

家族への忠誠心

弟が殺人を犯し、逃亡している。居場所を通報するか、否か。
僕の直感的答えは・・・通報する。


もし、僕自身が殺人を犯したなら、法に従い、自首するのが正義だろう。
身近な人だからこそ、社会的規範を守るべくサポートするのが、正義にかなうと想う。


とはいえ、こんな考えも頭をよぎる。
逃亡しているなら、それはなにか、やむにやまれぬ事情があるからこそではなかろうか。
今はつかまりたくない、なにか事情が。


ならば、弟自身の判断を信じ、彼の意思をサポートするほうが、正義なのかも。

愛国心

災害のとき、日本人を、パキスタン人より優先して救うか。

世代を超えた道徳的責任

現代の日本人は、1930-40年代に日本が犯した過ちについて、謝罪するのが正義か、否か。
オバマ大統領は、原爆投下を謝罪すべきか。


1コマ目の、寄付金による入試優遇のときのように、感情を揺さぶられた回答がいろいろ出てくる。
言説は十分に論理的ではなかったりするけれど、そのひとが芯からそう感じ、本気で語っていることが伝わってくる。
サンデル教授は、そういうひとを選んで指名し、重点を置いて取り扱っているようにも感じられる。


僕のなかの答えは、やはり、以前書いたのとおなじ。
謝罪のテロスは、起きて欲しくなかった出来事に対し、自分のレスポンシビリティを認めることだろう。
戦争も原爆投下も、起きて欲しくない出来事。2度と起こしたくない出来事。
日本もアメリカも、あんな結果を招かないようにすることは、できた。
・・・という立場に立ってはじめて、平和への歩みが生まれるだろう。
「俺は悪くない、おまえが悪い」と言い合っているうちは、争いは絶えない。


広島出身の男性の発言が、僕自身の想うところとかなり近かった。

締め

僕も立ち上がって拍手をするだろうなぁ。
意見を異にするもの同士が、こうして率直に想うところを語り合ったら。
自分自身は、ほんとはどう想っていて、なにに価値基準を置いているのかを探求しながら、語り合ったら。
たとえば、パレスチナイスラエルとで。アメリカ市民とアルカイダとで。


サンデル教授がおっしゃったとおりで、意見が一致することは、永遠にないかもしれない。
それでもその討論そのものが、参加者すべてにとって、深い学びの場となることだろう。


ぼくたちが、わざわざ別々の存在として生きていることに意味があるのだとしたら、
それはたぶん、それぞれ違う人生を生き、違う体験をし、違う視点からものを見て、違う価値観をはぐくみ、
結果、ひとつの世界が、いろんな角度から理解できるようになることに、あるんじゃなかろうか。
・・・11年前にふと想ったこの言葉の、いい実例をみせていただいた。

ディープピープル 宝塚トップスター 対談全編放送

視聴者からの要望で、対談のすべて・88分を放映。
しぐさ、目、うた、アドリブ・・・・・
それぞれ独自に工夫していたり、先輩から直伝されて居たり。で、同じことをやっていたり、違って居たり。それが組の伝統や個人の個性になっていたり。


違っていた部分で特に興味深かったのは、役への入り込み方。
おひとりは、その人物が、どう生まれ、どう育ってきたのか、想像し、書き出していくうち、そのひとそのものになる・・・だから、せりふや歌詞がすっとんでも、ちゃんとその場にあったことばを創り、語り、歌えてしまう。
おひとりは、男といえども、弱い部分がある。そこはわたしとおなじじゃん・・・というところから、共感を拡げていく。”傷口から入り込む”スタイル。


ひときわ深い共感が生まれてたのは、トップの重圧のはなし。
これは、やったひとにしかわからない、やったひと同士だからわかりあえる、ことだもんなぁ。