所有

僕の命は、僕が好きなようにもてあそんでいいのだろうか。


そうではないと、僕は想う。
たくさんの人のお世話と、たくさんの偶然とがあって、僕は今、ここに生きている。
過去から未来へ、人々が織り成す歴史の中の一点に、僕は今、生きさせてもらっている。
たくさんの命を、食料としていただきながら、僕は生きている。


だから、僕の生命は、公共財。
その管理責任を、僕がまかされているだけ。
僕の生命を、最大限活かすべく勤める、義務がある。



所有しているもの・資金・財産も、同様なんだと想う。
限られた資源。それを、最大限活用すべく、僕に管理委託されているに過ぎない。


全米一の資産家であるバフェット氏も、ビル・ゲイツさんも、そのことがよーくわかっている。
ある実業家が、こうおっしゃっていたそうな。「自分をゼロにすると、エネルギーも資金も、どんどんめぐってきて、どんどん循環が大きくなる」
私欲を離れ、”活かす”ことに集中しているひとのところに、資金もエネルギーも、どんどんめぐってくる・・・ということなんじゃなかろうか。


ん、それって、滅私奉公であり、活私奉公でもあるね!