アイデンティティ
友人が、ジャクソン5の写真を観ながら、こう言った。
「マイケル・ジャクソンって、”最も売れた、黒人ミュージシャン”でいいんですよね?」
いや、たしか”最も売れた、ミュージシャン”
「にしても、黒人なんだから、”最も売れた、黒人ミュージシャン”には違いないですよね?」
いや・・・”最も売れた、ミュージシャン”だなぁ。
「???」
彼を”最も売れた、黒人ミュージシャン”と呼ぶのは、やっぱり不適切だと僕は感じる。
その理由を、言葉で説明しようとすると、30分語っても語りつくせない。
でも、若い彼にとって、そのエッセンスだけでも知ってもらうことは、大切だよなぁ・・・
そこで翌日、こうメールした。
「もし、マイケル・ジャクソンが白人だったら。
君は、”最も売れた、黒人ミュージシャン”と言ったかい?
または、”最も売れた、白人ミュージシャン”と言ったかい?」
数時間後、電話があったので、答えをたずねた。彼の声は、沈んでいた。
「・・・どちらも、言わなかったと想うんです。”最も売れた、ミュージシャン”って言ってたと想う。」
そう。それが、人種差別意識なんだよ。あ、自分を責めないでね、歴史的経緯で生まれてるんだから。
そしてね、それとは別に、まだまだそぐわない理由はあって。
マイケルは、”黒人ミュージシャン”なんだろうか・・・
彼の音楽は、”黒人音楽”なんだろうか・・・
マイケルは、”黒人”なんだろうか・・・
黒人って、なんだろう。
たとえば、オバマさんは父が黒人、母が白人。ならば”黒人と白人のハーフ”・・・そうは言われない。まるで、黒か、白、どちらかを選ばなきゃいけないみたい。なら、”白人”でもいいはずなわけだ。
実際、アメリカの黒人で、白人の血が混ざっていないひとは居ないといわれている。
では、その人の肌の色で決まるのか・・・”アルビノ”で肌が白い黒人さんは、かなりの比率で居るそうな。まだらに色素が抜ける病気もあって、進行するとマイケルのように真っ白になっちゃう。
では、アメリカ合衆国では、どう人種を決めてるのか・・・”本人が、どの人種に属すると想っているか”なんだそうな。
オバマさんが、”僕は白人だ”と想えば、白人。
マイケルはたぶん、”僕は黒人だ”と想ってるだろう。と同時に、”そんなこと、どうでもいいじゃん、俺は俺だ”とも想っているんじゃないかな。
黒人音楽が、社会全体に浸透していく過程と、黒人差別解消とは、密接に関係している。
アメリカ合衆国のポピュラー音楽の歴史って、黒人の音楽を、白人がパクって取り入れてきた歴史だと、居えそう。
ジャズをまず、ごく一部の白人愛好家も聴くようになり。でも最初、黒人バンドはレコーディングさせてもらえなかった。白人が黒人のジャズをコピーし、レコーディング。
やがて、黒人が演奏したレコードを、白人が買うのは当たり前になった。でも、黒人が演奏させてもらえないホールも、たくさんあった。
白人と黒人とが同じバンドで演奏することにも、社会的に大きな反発があった。
白人が、黒人の真似をすることにも、大きな抵抗があった。
ルイ・アームストリングが、ベニー・グッドマンが、プレスリーが、ジェームズ・ブラウンが、そのほかたくさんの黒人・白人アーティストが、音楽の魅力を押し広げ、垣根を壊し、”常識”の反発を超えてきた。
そしてついにマイケルあたりで、黒人側から白人音楽を取り入れ、黒人音楽でも白人音楽でもないポップミュージックに、至った・・・と言っていいような気がする。
赤ちゃんは、自分がどういう人種だなんて、気にしてない。自分の泣き声の奏でかたが、どんなジャンルに属するかも、たぶん。
ひとはいつから、自分をどこかのグループに帰属させて、安心しようとするんだろう?
自分が何者なのか、自分がなにをやってるのか、わかったような気になろうとするんだろう?
わたしはわたし、わたしが奏でてる音はこれ。それ以上もそれ以下も無いはずなのに・・・イソップ童話のこうもりのように、どのグループにも属さないものは、異端視されたり、怖がられたりする。たぶんそれは、グループの根拠のなさに、気づかされてしまうから。