創造性

Hiroetteのブログ:ほんとにほんとに感謝です http://blog.drecom.jp/hiroette/archive/935
その過程でなんとなく思ったのは、やっぱり自分を評価してくれる人となるべく一緒にいる方が自分も楽しいし、その方が自分もやりたいこととかできることがより発揮できるんだな、って事です。そんなことみんな普通に分かっているのかもしれないけど、私の場合は、今までは、必ずしもそうじゃない環境とか人間関係とかもあって、そういう時はすごく辛いというか、自分を殺さないといけない局面とかもあったわけで。

評価してくれるというのは、別に自分におべんちゃら言ってくれるとか、ほめちぎってくれる人だけとつき合うって事じゃなくてね、そういう人はもし私が何かしでかしたら、ちゃんと忠告もしてくれる人なのでしょうから。

どんな素敵なものが生まれるのか、まだ形を為してない段階では、多くの人に理解してもらうのは難しいことも多々ある。懸念のほうが大きく見え、猛反対する人も多々ある。
一方で、その素敵さと実現可能性がはっきり観えてしまう人たちも居る。その人たちとともに過ごすことで、しっかり形を為す作業が加速する。


僕みたいに、TDRというシミュレーターのなかでコチョコチョやるのではなく、実社会でデカイことを、一般人の立場で動かそう・・・というゲームに参加してる人たちも居ます。

Hiroetteのブログ:「公的年金モデル諮問会議」の感想 http://blog.drecom.jp/hiroette/archive/937
それってすごいと思いませんか!

というのはですね、私たち一般庶民というのは何か税金が上げられたり、なんらかの政策が決定しても、もう自分達には特に何もできることがない、って思ってますよね。そういう風に考える人が多いと思います。「選挙に行っても自分が一票くらい入れても何も変わらないよ」って思っている人も多いと思います。

でも!違うんですよ!
(中略)
「私たちにもなんかできるぞっ!もしかしたら世の中を変えるのにささやかながら一役買える可能性があるぞ!政府の偉い人とか国会議員とかじゃなくても世の中を変えられる可能性があるんだぞ!」という実感を少しでも多くの人に伝えたい

一人の人間が、ただ消費者でありつづけるなんて、たぶん「あり得ない」。
でもね、消費者であり続けられるような気がしちゃう。しちゃってる。日本では。
お金さえ用意して、口をぽかぁんと開けていれば、誰かが全部お膳立てをしてくれて、安全を、えさを、楽しみを持ってきてくれる。そんな錯覚を生きられちゃう。

毎日新聞11/8朝刊 コラム「さだまさしの日本が聞こえる」から
ふと思い出すのはどこかの外国人の「日本人はディズニーランドの中で暮らしている人々のようだ」という台詞。安全と水はタダだと思っている日本人について。

安全なフライトシミュレーターの中だからこそ体験できることがあるように、
ディズニーランドというシミュレーターの中だからこそ、観えることがある。
そして、日本という安全で特殊な環境の中だからこそ、観えることもある、必ず。
そういう環境に住んでいることの価値を、目いっぱい引き出すことが、むしろ世界への貢献であり、責務だと想うんです。


その際、安全で平和な環境に居る我々が、留意しなければいけないのは、たぶん、口を開けてぽかぁんと価値を提供してもらうのをひたすら待つ人にならないこと。
価値を提供してくれてあたりまえ、提供してくれなきゃ文句を言う。自分では何もやらない・・・なんて人にならないこと。洞察力が、そして身体感覚が、鈍ってしまう・・・。


日本は分業が進んでます。気候も温暖。日常生活で環境の激変を感じにくい。他人とどう付き合うかがむしろ主要な関心ごと。
http://travel2.2ch.net/test/read.cgi/park/1097252128/166 と  http://tmp4.2ch.net/test/read.cgi/tubo/1091652391/974 でこの部分に突っ込みが入ってました、ありがとう。台風やら地震やら空梅雨やらがあるにせよ、地球規模で観れば日本は温暖。とはいえ確かに、時折、苛烈な変化に襲われるという日本の特性は、我々に影響を与えていますね。文章を推敲しました。)


一方、砂漠は違います。カレーズを維持できなければ、即、村は滅びる。車が故障すれば、即、死に直面する。日常生活の中で、自分が自然に対して、なにをすることでどうなり、なにをしなければどうなるのか、とっても直接的でリアル。他人との関係性も、そこからリアルに定義される。


日本だって、本当はそう。
フライトシミュレーターは、勝手に動いてるわけじゃない。
ディズニーランドの環境は、たくさんの人々の汗と熱意で創られている。
日本だって、そう。見えないところで誰かが汗をかいてくれていて、その恩恵にあずかっている。いや、あなたもわたしも、何かしらの汗をかいているはず。台風やら震災やら経営危機やらが来て、はじめてそれが顕に感じられたりして。


危機感を強調して、目を覚めさせる・・・というやり方が、しばしば多用されますね。でも、もったいない。それはマイナスをゼロにするだけ。そして、瞬発力はあるけれど、続けてると疲弊し、危機に麻痺する。
もう一歩踏み込んで、どんな素敵な未来像が在り得るのか、を見出すことが大切なんじゃないかなぁ。成功した改革は、現状よりも素敵な未来図を提示してる。危機感だけを煽る改革は、失敗に終わってる。そんな傾向があるように観えます。


日常が生き死にに直結していないから、砲弾が飛び交っていないから、もっと先が見えるはず。もっと深く見えるはず。身体感覚をなまらせなければ。この環境を創ってくれている仕組みが見えて居れば。
どんな幸せがありうるのか。どんな美しさがありうるのか。どんな深みがありうるのか。


いやいや、敦煌ウルムチの老人の目は、とても澄んでいて素敵だったなぁ。すべてを見通しているかのように深かった。苛烈でシンプルな環境のほうが、物事の本質が明確に見え、結果、深みに到達するのかなぁ。