国は在るものか、創るものか・・・あたりまえに存在してくれているものの価値

17年前、シルクロードを旅行しました。西安-蘭州-敦煌-トルファン-ウルムチまで。
敦煌より西は、完全にイスラムの世界。砂漠の中をひたすらバスで走りつづけて、次の町へと向かいます。
圧倒的な砂漠の中で、懸命に維持される人々の営み。地下用水路・防風林・道路・延々と続くのろし台・・・
その営みが止まり土に還っていく、数万人規模の都市国家・・・・・

ひとの小ささと、ひとの偉大さとを、同時に感じた旅行でした。

公的組織の問題を論じるときに、文化的な背景、人々の官僚への認知の問題、あるいは、官僚自身がなにに価値を見出すか、という問題をさけてとおれない

そのとおりだと想います。
では、その「価値」をどこに見出すか。公的な機関であるほど、立場による損得を超えて共有できる、基本的な「価値」に評価基準をおく必要があるように想います。
・・・たとえば。

  • ディズニーのテーマパークでいえば「目に見えないハピネスを具現化する」。これに照らし合わせて、プラスの影響・マイナスの影響を評価する。
  • 環境ISOでも、まず「環境方針」を宣言します。「人の健康を増進します」「地球温暖化を抑制します」etc・・・万人にとって、大切と想える価値。


ゲームのルールをシンプルにする。
何が勝ちで価値なのか。何に照らして、得だったり損だったりするのか。
同じにんげん。体も心も構造は同じ。経験が違うだけ。http://d.hatena.ne.jp/BigLove/20040709のコメント欄
ですから、基本的な価値にまで立ち返れば、なにが心地よくてなにが好ましくないか、何が素敵で何が醜いかは、共有できる。

官僚組織でありながら構成員が命をなげうっても任務を完遂することがあたりまえの組織がある。そこでは、構成員は明確な任務遂行にむけて恒常的に訓練されている。

根源的な価値と任務がマッチングしてれば、幸福につながるでしょう。
でも、状況は変わる。具体的にどう任務をなすことが、真に価値を生むのかは、刻々と変わります。
「何が真の価値か」を明確にし、そこに立ち返ってすべてを決定することが、ここでも重要になります。

    • たとえば消防。「人命救助」という明確な価値を共有し、適切な判断力を磨く経験を経た指揮者を指名し、現場状況を正確に伝達し、指令どうり行動する訓練を積むから上手く機能する。

一方、「何が真の価値か」を明確にし、問いつづけないと、シンボルや、なすべきことにしばられて、悲劇が生まれる。

・・・・・たくさんありますね
この件、認知的不協和http://d.hatena.ne.jp/BigLove/20040712#p1の回避と関係があります。


「ハピネスの具現化」というのは、実に見事なテーマ設定だと想います。あらゆる活動をこの視点から評価できる。視点によって、いろんな発見がある。いくらでも探求できる。
すべての組織が、ひとが、活動における根底の価値基準をここに置いたら。かなり素敵なことになりそうな気がします。

ひながかえるときに卵を親鳥がそっとわってやるような、十月十日の後に子どもが生まれるというような、感覚が「国」が成るときには必要だと感じてしまうのは、やはり自分が日本人だからだろうか?我々は、国がすでにそこにあるといことすら捨てて考えなければならないのだろうか?

シルクロードでの体験は、私に「国」ってとても「人工的」なもので、目的に添って構築され・維持されるものだと教えてくれました。すべての組織が、そう。
だから・・・・・何のための組織なのか、どんな価値を創造するための組織なのか、を意識し、定義することがまず重要で、うまくいくのだと感じます。
むしろ、「国がすでにそこにある」という前提を、いったん捨てて考えてみてこそ、「国」に対して、私たちが生み育てているものという想いが生じる・・・のかもしれません。

じゃあ、国家がなくなったらどうなっちゃうんだろう?と思ったんです。

国家がなくなるっていうのは要するにイラクのような状態ですよね。警察もまともにないので強盗がきたら自衛しなければならない。水、電気、水道などのインフラがないので自分でどうにかしなくてはいけない。まず、国がなくて生活していくとしたら、いの一番に考えなければいけないのはまずこんなところでしょうか。あと、どこかへ行くにしても橋や道路が整っていないといけないけど、それを自分で全部やるのは到底無理ですよね。

じゃあ、その橋を作るのにその辺の住民がお金を出し合って作ろう、という事になる。それで、じゃあ、橋を作るのに采配を振るう人が必要だ、となる。こうやって国というのが形作られていくのですよね。そのためにお金を払うのは至極当然のことなのです。その辺のことは私たちはあまりにもその恩恵に浴するのが当たり前すぎて忘れてしまっていると思う。だから税金はただ取られるだけっていう気分になってしまうんだと思います。

シルクロードで私が感じたことを、とてもうまく書いてくださってると感じました。
存在があたりまえだと思い込んでしまっているものを「もしなかったなら・・・」と想像してみる。
もし、私がロビンソン・クルーソーのように一人ぼっちだったなら・・・
家族が居なかったなら・・・
行動の自由がなかったなら・・・
空気がなかったなら・・・
笑いがなかったなら・・・
・・・そのことで、あたりまえに存在してくれていることがらの意味が、白紙で観えてくる。どう生かせばいいかも、観えてくる。