手塚治虫マンガ音楽館 ISBN:4480037276

手塚治虫の音楽を題材にした漫画集 音楽館を読み返しました。

  • 陣営

一番印象に残ったのは、新宿西口のフォークゲリラと機動隊の対決を描いた作品「がらくたの歌」。
一人の人間に戻ったときは、互いに理解し会え、気持ちよく酒を飲み交わす。
機動隊に所属している兄は、弟のことを心から大切に想っている。
なのに、鎮圧出動した際、心から怒りに燃え、弟を棍棒で思い切り殴り倒してしまう。


イラクがいよいよきな臭くなってますね。


どんな解決の方策があるのか、正直まったく見えないなぁ・・・。

  • 憐れみ

次に印象に残ったのは、バーンスタイン反戦コンサートを描いた作品。
歌詞がひたすら「主よ、われらを憐れみたまえ」
丁度昨日の日記で憐れむという感情を扱ったところなのでhttp://d.hatena.ne.jp/BigLove/20041107#p2、とっても心にひっかかりました。


憐れむって、どういう心の動きだろう・・・
「本来と違うみじめな姿を、いとおしく悲しむ」という感じかなぁ。


もののあはれって、「あぁ我」と思わずもらす言葉から来ているんだそうですね。ありのままの本質に気づいてしまう時の。
「本来と違うみじめな姿」ではなく、「虚飾が剥げ落ちた、ありのままのみじめな姿」なのかもなぁ。


「憐れみたまえ」と祈っているときは、大きな存在に包み込まれたいという願いがあるかも。
憐れんでいるときはどうだろう。相手を、小さな愛しい存在と想っている・・・いや、それだけではないなぁ。
父の死後、大きな喜びと悲しみとを同時に観・感じてしまうことが多々あるんだけれど、それはたぶん「もののあはれ」にすごく近いものだろうと想うのだけれど、そのときの感慨って「憐れむ」に近い。
でも、その対象は僕より小さなものではない。ことばにするなら、宇宙全体だなぁ。そのとき、自分と対象とに境は無い。没入してしまっているわけではなく、ある種客観的な存在として対象を感じているのだけれど、でも、境は無い。ずーっとどこまでもつながっちゃってる。そのときの自分は、ちっぽけな存在でも、巨大な存在でもない。ただありのまま。謙遜も虚飾も、剥げ落ちてるなぁ・・・。

「憐れむ」というと、「哀れな乞食にお恵みを」という連想をしてしまうんですが(^^; 憐れと哀れはちがうなぁ、かなり。