どこで見られているかわからない

小さな子供をつれてTDRで足しげく遊んでると、いろんな場所のキャストさんと仲良くなります。パレード待ちや行列で偶然隣り合ったご家族と、親しく会話が弾むなんてことも、しばしば。
すると・・・「この間、ランドで見かけましたよ!」「シーに木曜日いらっしゃいましたよね!」と、声をかけられるのは日常茶飯事だったりします。
ずっと前から我が家は、少なくとも舞浜では「どこで誰に見られているかわからない状態」です。それを前提に、全ての行動を組み立ててます。
悪徳なことは一切できない一方、顔バレは平気。むしろ、顔バレしていることで、子供たちの安全が保たれている面もある。常に誰かに見守られているような、善意とつながっているような、とても伸びやかな感じ。


「だぁれもいないとおもっていても、どこかでどこかでエンゼルがぁ・・・」
っていう感覚に近いです(^^)。


キリスト教徒やイスラム教徒は、いつも自分を見ているであろう「神」に照らして、自分の行動を決める。
世間様教徒は、自分を見ている「身内」の評判を落とさないように、自分の行動を決める。
「神」が自分の身体感覚に近づくと、「身内」がどこまでも広がると、ゴールは同じなのかも。