自由

調べ物をしてて、マーチン・ルーサー・キングの有名な演説「I have a dream」に出くわし。
その全文を、日本語訳読みながら、音声と動画とで、計3回聴いた。
webって凄いねぇ、「ふと思い立ったとき」に「繰り返し」「全文を」「視聴」できるんだから。
20世紀の100の名演説中、第1位に選ばれた、名演説中の名演説。
16分間強ありますが、あっという間です。
アメリカ発のエンターテイメント・・・ミュージカル・ジャズ・ロックetc・・・がお好きな方なら、政治になんてまったく興味がない人でも、ぜひ聴いてみてほしい。演者と聴衆がやり取りしながら、巨大なエネルギーを生み出していく。その偉大な実例。感じるものがあるはずです。

嫌味や嫌悪の杯で自由の渇きを癒すことだけはやめようじゃないですか。闘争は尊厳と規律をもって進めていかなくては駄目です。抗議行動は創意工夫をもって行い、暴徒にだけはなり下がらない。繰り返します。物理的な力に魂の力で立ち向かう、その高みを我々は目指していかなくてはならないのです。

この言葉が、万雷の賛同の拍手をもって迎えられていることに、まず感激。
当時加えられていた「物理的な力」の凄まじさ。命を落とす人さえ多数居る。
その中で、こう宣言する決意の、重さと深み。


自分たちの行動の意義、現状の非道さ、果たすべきことがら、行動すべきことを、明確に活写。
熱狂的な賛同の声で応える聴衆。


そして、有名な「I have a dream」の部分に。
東京のFM局 J-WAVEのジングルで、この言い回しを引用してますね。でも本物のキング牧師の声は、比較にならないほど凄い。
最初、音声で聴いて意外だったのは・・・それまでの熱狂が、むしろ静かになっていること。
悲惨な現状とはかけはなれた「夢」が、眼前にありありと光景が思い浮かぶように、リアルに語られる。
あまりにもかけはなれている。そして、あまりにもありありとしている。
涙がこみ上げてきます。
そう。あまりにもこころに深く伝わってきて、声を失ってしまう。
映像で観ると・・・たとえばキング牧師の後ろに立っている人々。恐らくは幾多の困難に直面し、乗り越えて来たことでしょう。このセクションに来るまでは、ある種感情を抑制した、運営側の役割を果たそうとしている表情。それが・・・あるひとは笑みを浮かべ。あるひとは空を仰ぎ。ひとりの人間として、この「夢」を体感している。
観客席。白人と黒人とが、共にサングラスをかけ、おなじ角度でうつむき、静かに泣いている。
その「夢」が、アメリカのそこここに拡がっていくさまが活写され。

そして鐘が鳴るその時、
すべての村、すべての部落、すべての州、すべての町から自由の鐘が鳴り渡るその時、私の夢はもっと早く実現の日を迎え、ありとあらゆる神の子は黒人も白人もユダヤ教徒も非ユダヤ教徒プロテスタントカソリックも共に手を携えて、あのいにしえの黒人霊歌を歌うのです。

やっと自由になった!やっと自由になった!
おお、全能なる神よ、感謝します。

とうとう我々は、自由になったのだ!

黒人霊歌を歌うとき。実はその自由を、ちょっぴり味わっている。
山々の美しさに触れるとき。実はその自由を、ちょっぴり味わっている。
理屈抜きの幸せ。
ひとりひとりが味わってきたであろう、そんな実体験にリンクさせて語るから、途方もない夢が、ありありと共有できるんだなぁ。理屈抜きに。

ユダヤ人は「すでに存在するもの」の上に「これから存在するもの」を置くが、ユダヤ人は「これから存在させねばならぬもの」を基礎づけるために「いまだ存在したことのないもの」を時間を溯(さかのぼ)った起点に置くのだ。
 非ユダヤ人にとってこうしたアナクロニズムはどうしても思いつかない超絶思考法であった。そして、そのユダヤ人の知性の効率的な使い方に非ユダヤ人は嫉妬(しっと)し、激しい欲望を感じ、「その欲望の激しさを維持するために無意識的な殺意」を抱くにいたったのだ。

この思考法がユダヤ人特有のものなのかどうか、私は知らない。
ただ、この思考法・・・ビジョンを明確に描き、その実現に必要な・未存在のものを考案・現出させる・・・が、イノベーションの基盤だということは、わかる。
そして、そんな生きかたをしている人々が、「維持」に執着する人々から、しばしば激しい嫉妬や憎悪にさらされることも、よくわかる。キング牧師も、そのひとり。


イノベーティブな思考法が、当たり前になったなら。
キング牧師のようなひとびとが、天寿をまっとうできる世の中になったなら。
ひとはもっともっと、創造的になれる。
人類はもっともっと、素敵に生きられる。
自由。その基盤はここにある。
だから、「夢」を描くことって、そしてそれをありありと語ることって、とっても重要なんだ。