システムとひとと分断・・・新)4つの労働者階級 - Chikirinの日記を読んで

ここ10年、仕事に関する僕の問題意識は、ここにある。

現代における労働者は、

(1)システムの設計をする人(システムより上に位置する)

(2)&(3)システムを作る人(システムと同じ位置にいる)

(4)システムに沿って働く人(システムの下に位置する)

という3つの位置に分断されてしまった

この分断が、日本の国際競争力・・・もっと本質的には魅力を、削ぐだろう、と。

高度成長期の日本では、「全員が(4)からはじめ、成果によって段階的に選抜されながら、(3)、(2)、(1)と順次昇っていく」というモデルだった

私の勤務先は、まだこの色あいを強く残している。たぶん、同業他社と比べても。
それでも、(4)の仕事を一部分割し、協力会社さんにたのんだり、アルバイトさんに任せたり。

右側に付け加えた“縦の赤線”は、新規の労働者が社会に入ってくるときのラインです。以前は(4)の下に横にひかれていたこの線は今は縦になり、学生が社会に入ってくるその瞬間から「どのポジションで社会に入るか」が決まってしまうようになっています。

OLCさんも、まさにそう。
アルバイト、契約社員準社員、正社員。どんな仕事をしたいかで、入り口がまったく違う。

その昔、日本の強さは(4)の人の優秀さにあった。“ラインの改善サークル”とか“アメーバ経営のセル”みたいに、現場の人が自分で考えて提案し、柔軟に非定型な作業をこなしていた。

欧米では(4)の人にそんなことは期待しない。だから、いかに(4)の人が何も考えなくても回る仕組みを作るかが(1)の人の腕の見せ所だった。

日本企業も今は多くが欧米型の「システムによって、何も考えない人たちを使うモデル」を採用しはじめている。でも本当にそれが優位性のあるモデルなのか、ちきりんは疑問にも思ってる。

前線の人の強さを生かせなかった(1)の人の能力不足が、(4)の人を「なんも考えずに機械のように働け!」といわれる世界に押し込めてるんじゃないかと。

なぜ、(4)の優秀さが日本を支えていたか。
システムを分析し、改善を計画し、実施する力を、(4)のひとが身につけることで、当を得た改善が即時に行われ、品質や生産性が高くなる。
そういう経験を積んだ人は、技術動向・社会動向への見識を育てれば、現場ニーズに適合したシステムを、制作・設計できる。
そこから(1)へのジャンプは、弱いところだったのかもしれない。もしかしたら先の記事で述べた”自分で答えを・理想形を描けるひとじゃないと、一流にはなれない”の部分なのかもしれない。そのちからを、広く大きな領域で発揮できるか否か。



自分自身の業務経験に即した話って、どこまで書いていいものやらいつも迷う。
”製造ライン”というシステムにおける実例として、書けそうな範囲で、そして、僕の主観や誤解や偏見が混ざっているという大前提のもとに、以下書いてみると・・・


業界首位の会社は、製造ラインを、基本的に機械メーカーにつくらせた装置をそのまま組み合わせて構成する・と聞いている。
私の勤務先は、制御プログラムは運転する職場の人間が書くし、メカも機器構成も、かなりいじる。修理や改造も運転する人間がかなりの部分おこなう。
そのメリットは・・・
夜間・休日などの故障に対応できない機械メーカーの装置を採用しても、ほぼ自分たちで応急修理して、製造停止時間を最短にとどめられる。だから予備の製造ラインを抱えなくて済む。
試作機や量産第1号機を安価に購入し、機械メーカーの技術者と共にトラブルを克服しながら立ち上げることも多い。新規性のある製品をさきがけて導入できる。
制御の変更や機械の改造が必要な新製品を、思い切って投入しやすい。
効率向上、品質改善、安定稼働のための方策を、あれこれ試行しやすい。


でも器用貧乏というか、
似たラインを増設するときも、ついつい改善を加えてしまうので、結果的に微妙に違う仕様の製造ラインがずらりと並び、故障時などの代替製造が出来ない・・・なんてこともあるけれど(^^;



そんな私の勤務先も、団塊世代の大量退職をカバーするため、非正規雇用を導入した。
単純作業に近い部分や、自社の独自価値に影響が少ない仕事を、抽出して、時間単価が正社員よりも安い、協力会社やパートさんに頼む。
経理上、固定費が下がり、変動費が増えたように観える。
でも実際は?
製造量が下がったからと言って、ばんばん辞めてもらったら、増えたときに集まらない。
協力会社さんに蓄積された業務経験と技術力は、私の勤務先の財産にはならない。


そもそも、コスト安でもない。
ある職場を、
1ライン当たり、正社員2名・パートさん2名 × 4ライン + 責任者1名 計17名 で運転していた。
パートさんは、資材供給と検品にひとりづつ。資材供給は間欠的にしか仕事が無いが、検品は稼働中張り付きっぱなしなので2名必要。
正社員は、運転準備と終了操作は仕事が多いが、稼働中はひま。でも故障時には2名居ないと、対応しきれない。
・・・もしこれが、みな正社員だったなら。
3名 × 4ライン 計12名で、運転できる。
トラブル時には3名で対処できる。運転準備・終了も3名で分担できる。検品も3名で交代できる。人数は減っても、作業負荷はむしろ軽くなる。





システムの中には、システムが入れ子になっている。
お茶碗をひとつ、じぶんひとりで粘土からひねって焼きあげるのも、
日本という国を、運営していくのも、
ちいさな仕事から大きな仕事まで、すべてに、(1)-(4)の要素がある。


ひとりでやりきれない仕事は分業するにしても、
でも、(4)がわかってないひとに、(1)の仕事は、できないんじゃないか。
(1)のセンスがないひとは、一流の(4)にはなれないんじゃないか。



特徴は、長所でも短所でもある。
日本の最大の特徴は、天然資源の乏しい狭い国土に、たくさんの人が住んでいること。
環境問題が、いちはやく表面化する。その対応策をいちはやく実施できる。持続可能な社会のいい実験台となりうる。
全員参加でシステムを構築・運用・改良すれば、柔軟で効率が良くて使い勝手のいいものにできる。そういうシステムこそが”持続可能”。
こういうシステムの構築手法そのものが、日本の最大の輸出品といえるかも。ISOの諸マネジメントシステムに取り入れられもした。
そしていまも、これからも、日本こそが、持続可能なシステムを高度に磨きあげやすい特性をもった地、だろう。


ポイントはたぶん、(1)の素養を磨くことなんじゃなかろうか。

人間や地球が、しくみの道具になるのではなく、
人間や地球を、輝かせる道具として、しくみがある。
21世紀からは、はっきりとそうなっていくのではないでしょうか。

日本は、そんなしくみを磨くしくみを、生み出しやすい特性を持っている。
それこそが、日本の存在理由になりうる。
僕は、そう想っています。