一流のひとは、なぜ謙虚なのか

数年前、ディズニーパーク写真家・うるふさんが、こうぼやいていた。

「たくさんのひとがWebサイトにアクセスしてくれるようになった。でも、”いい写真ですね”とか”綺麗ですね”とか、通りいっぺんの感想しか言ってくれない。まだまだ未熟なのに、ズバッと指摘してくれるひとはいないなぁ・・・切磋琢磨しあえるようなサイトにしたいんだけど。」
”うるふさん、篠山紀信アラーキーの写真に、あぁしたらとかこうしたらとか、言える?”
「・・・そりゃ、言えへんなぁ。」
”おんなじだよ。”


G-STYLEの川越ライブの帰り。バンドリーダーの鮎川さん・トランペットの小澤さんと、がっらがらの電車を貸切状態で、あれこれくっちゃべりながら、のんびり新宿まで帰ってきた。
鮎川さんいわく

「一流のプレーヤーになればなるほど、謙虚なんだよね・・・」
”いろんなジャンルのひとが、そういいますよね。自分の至らなさ・理想とのズレをよくしってるからかなぁ”
「自分の何処がダメか、どこをどうしたらよくなるのか、自分でわかる人じゃないと、あるレベルから上には行けないですね。レベルが上がれば上がるほど、周りは言ってくれなくなる・言いようがなくなるから」
”こうしたほうが絶対いいとか、正解がない領域になりますもんね”
「うん。自分で答えを・理想形を描けるひとじゃないと、一流にはなれない。」


渋谷幕張の槐祭で、芸術書道の先生が、中学生の女の子に

展覧会に出すのって、恥ずかしいもんなんだよ。今になっても。あそこがああだったらとか、ここはもっとこうしたいとか。
だから、いい。
どんどん恥かけばいいんだよ。