道と器
“形而上者謂之道、形而下者謂之器”(形よりして上なる者これを道と謂い、形よりして下なる者これを器と謂う)
もしかしたら僕は、道を追い求めるのは好きだけれど、器を活かすことをおろそかにしているのかもしれないなぁ。活かしたいと願っているにもかかわらず。
いや、違うかもしれない。
元来は、器を活かすほうが、得意だったのかもしれない。
道を学ばねば、器を活かしきれないところまできて、
ここ8年、道を学んでいるのかもしれない。
道・形・器。
形に触れて、その器を観る能力。切り株に出会って、踏み台・机・椅子・薪・埋もれている仏像・・・と観るなんてのが、そうなのだろうか。
形に触れて、その道を知る能力。切り株がなぜ在るのか。在るとはどういうことなのか。来歴は・・・なんてのが、そうなのだろうか。
そうでもあり、そうではないのだろうなぁ。