こころの遺伝子 諏訪中央病院 鎌田医師
こころの通う医療って、どんなものなのか。これぞ!というお手本を見た。
笑いの絶えない診察室。先生の暖かい人間味が、患者さんやスタッフと共鳴し、増幅して、部屋中に拡がっている感じ。手当ての温かみが、手どころか、全身、存在感まるごとで。
厳しいことを乗り越えても来られた。悲しい思い出、後悔、辛い出来事、真実の病状。それを語るときの、かたくなで、まっすぐで、ちいさな存在感。
御柱祭での、子供のような表情。
柔和な笑顔
見抜く目
包む柔らかさ
悲しみ
喜び
・・・まなざしが、なんと多様。オーラがまるで違う。そして、どれも自分なんだよなぁ。
苦・集・滅、そして道。
一方ぼくは、まだまだ、暖かさだけがほんとの自分で、”苦”は自分じゃないと想いたがっているようだ。
貧しいのに、鎌田さんを引き取って育ててくれた養父母。
心臓病の養母・”弱いものの味方であれ”と教えてくれた養父。
東京から、ぽつんとひとり、経営難の諏訪中央病院へ。
写真で観ても、ほんとぼろぼろ。築年数浅いはずなのに・・・。
つながりもない、信頼もない。
御柱祭の日、声をかけて招き入れてくれて、つながりをつくってくれた大恩人のおばあさん。
病院から地域に出て、年間80回の食生活改善講演をするきっかけに。
そのだんなさんが、白血病に。
「よく観てくれて感謝してる。ただ、もし告知してくれていたら。夫の布団に一緒に入って、昔話をたくさんできたのに・・・」と言ってくれるまで、3年。
「あぁ、これだけ親しい間柄で、それでも、3年もいえなかったなら、我慢している患者さんが、いったいどれだけ・・・」と思いをはせる感性。
病だけではなく
まるごとの人間を観る
ひとはいつかは死ぬ。
その瞬間まで、その人が望む暮らしを、生き切る。
・・・家族と地域があって、医療がほんの少しサポートすれば、可能。
脳が収縮する難病の患者さん。
治療法はないと、告知する。そして、苦しみが少なくなるよう、全力でサポートすると約束。
いずれしゃべるのも不自由になるのなら・・・と、ワープロを独学で学ばれる。
「自分の畑を見たい」作業着に着替えるのを手伝い、連れて行ってあげる。歩くのも困難・四つんばいで畑の土をさわりながら、満面の笑顔に。
・・・そしてなんと、36年たった今、99歳で。仏様のような笑顔で生きておられる。神々しい。TVを通して観ているだに、ありがたくて涙が出てしまう。もし、告知していなければ、こうはなっていなかっただろう。
大恩人のおばあさんが、脳梗塞から認知症に。”自宅で過ごしたい”その願いをかなえるため、奔走する。
そのころ院長として、理想の地域医療と、経営難と、スタッフの待遇改善と、どれも精一杯にと苦しむ日々。ついに、パニック障害になって。妻に抱きしめられながら、乗り越える。
強い人、弱い人が居るわけじゃない。
と同時に、支える家族の大変さにも、思いが至るようになる。聴けば「大丈夫・できる」と応えるけれど、でも、言えない辛さがある。
まるごとの人間を観る。
その家族も。
その地域も。
今。
若い医師の姿。
蒲田先生から学んだのは・・・暖かさ。受けながら包んでいく。僕はなかなかできないですけど
・・・いえいえ、しっかり受け継いでおられます。