NHK マイケル・ジャクソン音楽の軌跡

期待にたがわぬ、素晴らしい番組だった・・・。


冒頭、タイトルロールでもう、圧倒された。
鎮魂歌に乗せて、数々の映像から、選りすぐりの場面たちを次々と瞬間的に。その贅沢さと、凄まじい切れ味。
編集したひとが、いかに彼を敬愛し、彼が為したことを理解し、彼の死を悼んでいるのかが、ひしひしと伝わってくる。
マイケルがなにものであったのか、3分間に見事に凝縮したような、素晴らしい映像だった。
録画しなかったことを、激しく後悔した。


そのあとも、評論家のコメントは一切なし。
彼の歩みを最小限のナレーションで紹介しながら、ひたすら曲と映像を流し続ける。
そのセレクトと、的確な訳詩とで、彼がなにを伝え続けたひとなのか、おのずと伝わる・・・という番組だった。
なくなった当日夜の、フジテレビの追悼・・・といいながら、デーブスペクターさんたちがくだらない私見をとうとうとのべる(あまりのくだらなさに、すぐTVを消してしまったので、徹頭徹尾ああだったのか不明だけれど)番組とは対極。


感銘を受けたのは、BADのミュージッククリップ。
実は、フルバージョンを全編見たのは、たぶん初めて。
何百回も聴いた曲なのだけれど、歌詞も知っていたのだけれど、今日はじめて、僕はあの曲に込められた想いを知った・・・そう想った。


湯川れい子さんが、NHK BS2でのマイケル追悼式特集で、

マイケルは、すべてになりたかったんだと想う

といったことをおっしゃっていた。
マイケルは、この世界の、善も悪も、美しさも矛盾も、協働も敵対も、喜びも苦痛も、すべてを一身に引き受けていたんだと想う。すべてを、我が事として感じて居たんだと想う。
ちょうど、イエス・キリストのように。


彼は、世界を自分の鏡と捉えていた。
だから、彼は、私たちの鏡でもある。
彼が、どんなひとに観えるのか、彼が、なにに喜び、なにを苦痛と感じていたように観えるのか、
それは実は、そう観ている私たち自身の、世界観と人生の課題とを、あからさまにしてくれている。


唯一、ちょっぴり期待していて、かなわなかったのは、
Black or White の黒豹パートの放映。
あの映像に、どんな意味が込められていて、なぜTV放映禁止になったのかを紹介してくれたなら、マイケルが歴史上どんな位置に立っていたのかを如実に表すのでは、と想っていた。
BADを全編観た今、想う。BADと黒豹パートとが、一対なんだなぁ・・・と。
60分番組だから、全編放映できる長編ミュージッククリップは2本。その1本にBADを選んでくださった番組製作者に、深く感謝したい。



こんなにたくさんの資料映像を使うために、番組スタッフが傾けたであろう情熱と、世界各地から寄せられたであろう協力の大きさとに、頭が下がります。
さすがNHK。放送が深夜帯だったのが、実にもったいない。


TDLで、キャプテンEOの追悼上映が実現するといいなぁ。
この番組スタッフのような情熱さえあれば、関係者の協力はきっと得られると想う。
今年、TDLの七夕で、短冊に僕は、こう願いをかけました。

キャプテンEOを、もう一度3Dシアターで観られますように


追記:7/21に再放送を見て、BADのショートフィルムが、映画Wizを下敷きにしていることに気づきました。