オープンなコミュニケーション

時が解決してくれる、無視して関わりを持たないといった態度は、今日にまで至る長い人間の歴史の中では、不当な出来事に「巻き込まれた人間」が取り得る態度として、必ずしも消極的だというわけではなく、恐らくは、賢明であり、かつ有効なものと信じられていた。現実の世界の至る場所で語られていることに、いちいち反論して回るのは事実上不可能だったし、そのために人生の貴重な時間を費やすことが、無駄と感じられ、愚かしく見えたからである。しかし、それが「変わった」のである。しかも、まさしく今、「変わった」のである。

まず、正々堂々と生きること。
そして、誠実に表現すること。


「オープン」
「誠実」
「正直」


僕のような馬鹿のみならず。
ひとみな、そんなふうに愚直に生きることこそが快適な時代に、なってしまったのかもしれないなぁ。


天網恢々、疎にして漏らさず。
ひとだけではなく、組織も。

 「密告」を非道徳として非難するよりも、密告を恐れる必要のない組織を目指した方が割に合う時代に生きるのは窮屈ですか。

とっても伸びやかで、まっとうで、創造的だと想いまぁす(^^)
たとえば、コンプライアンス委員の設置、ISOマネジメントシステムの導入。巨大組織でさえ、「公明正大」に進んでいる。
ましてや、少人数の、趣味の組織においておや。