なぜ?をこそ語る

僕らが体験した、学んだ事っていうのは
このサイロと同じようにすぐに人生の栄養にはならないと思うんだ。
たくさんの経験、たくさんの学びを積み重ねて積み重ねて、
そうしていくうちに最初に学んだことが人生の中で生きてくると思うんだ。

だから「意味があるかないか」という勿体無い考え方をしないで多くのことを学んでほしい。

そしてね、君達はサイロと違って無限に干し草が入るんだよ。

なぜ・・・に得心の行く答えを得られたとき。いかに大きな原動力となることか。

山本一郎さんのが、一番浅いかなぁ。
たとえば「我が国の社会が、適切な形で若者に展望ある道筋を教導できなくなった」・・・社会に教導してもらうもんではないだろうと想う。「立派な軍人さんになりましょう」なんて、真っ平ごめんだなぁ。
「安心と幸福を保証する手段」そんなものは、はなから無い。保障できるという幻想なんて、ぶち壊れて幸いだ。
いや、まてよ。山本一郎さん自身も、そう想っているのかも。

今なら、なぜ強い反発を感じたのかわかる。「自分の生き方の指針が、外からやってくる」というしっぽを、山本一郎さんの文章に色濃く観たから。

繁栄を達成してしまったがゆえに飢える心配が無くなって、ではそこから何をこの社会は実現していくのかという議論が足りない。

足りないかどうかは別として。飢えがなくなった稀有な国として、今、世界に対して為すべきこと、果たせる役割って、たぁくさんあると想う。
アインシュタインは日本びいきで、「日本は和と高い精神性で世界のリーダーとなる国だ」と言っていたそうだけれど。環境問題・老齢化・資源問題・平和、いずれも真っ先に影響が現れる国だけに、世界のテストケースとなれる。

なぜ、どんな素敵さに向かって、なにを大切に生きてゆくのか。
自分に問う。
そして、現時点の答えを持っておく。
その答えを磨き続ける。


なぜなら、その答えもひとつのモデルに過ぎないから。
限界があるから。
そして、どこまでも磨き続けることができるから。