日本は、世界の予告編

 ◇近代400年の終わりに

 このようにして得られたデータから水野氏は、次のようなスリリングな論点を導きだした。大航海時代の1600年代に近代は始まった。この社会を支えた原理とは、世界の総人口の2割に満たない一握りの先進国の人々が、残りの8割を占める途上国の人々から、資源を安く買い、高い製品を売る、資本主義のシステムに他ならなかった。本システムは400年間うまく機能したので、先進国の人々は1970年代まで潤うことができた。だが、産油国による自己主張の開始、主要企業の利潤率の低下、粗鋼生産の停滞などの兆候が正確に暗示していたように、74年をピークに本システムも停滞期に入った、と水野氏は見る。

 上記の近代化レースの先頭を走っていたのが、米国と日本だった。(中略)

水野氏の議論を面白いと感ずるのは、近代化のレースで先頭を走ってきた国として、日本を想定している点である。日本の資本主義を説明する時、かつての私たちは、特殊やら例外やらの形容句を冠するのが普通だった。よって、日本の土地バブルと米国の金融バブルを同列とみる水野氏の論のユニークさに触れていると、ある奇妙な感慨が浮かぶ。

 日本という国は、次なるステージで何が起こるか、その予告編を世界に見せてきたという点で、本格的な分析に値する国ではなかろうか。9・11以降の米国がアフガンやイラクへ向けた視線は、交戦国に対するそれというよりは、討伐対象に対するそれだった。このような米国の視線は、日中戦争期の日本の、中国に対する視線と似ている。かくも多様な先例を世界史に刻んできた日本だからこそ、次なる資本主義の新段階を切り開く役割を負っているのではないか。これは皮肉ではなく希望である。
毎日新聞 2010年9月26日 東京朝刊

同感。
少なくとも、省資源・非製造業化・少子化・低公害・高効率化・・・といった部分で、日本は世界に先駆けて問題が顕在化する。
そして、高密度で小さな国土故に、その解決策を追求しやすい。
いわば、世界の”モデルハウス”となるだろう。


ポイントはたぶん、私たちが、なにをよろこびとし、進歩と観るようになっていくか。
モノや時間や手間の”消費”拡大に慰みを求めることは、どんどんできなくなっていく。
”創造”によろこびを見出す。それが鍵になることだろう。