大局観 700年周期で情→知→意

やっと最近になって、日本の歴史がどのように展開するかわかりました。

 岩村 どう展開するか、お教えください。

 中西 日本は700年周期で変わっています。5世紀から平安時代までが第1期。1192年の鎌倉時代から1868年の明治維新までが第2期。それ以降が第3期です。700年は、前半と後半で動乱期と完成期に分かれます。ということは1868年から始まって、少なくとも300年は動乱が続く。22世紀まで動乱は続き、完成するのは26世紀。

 第1期日本は情をもって美を求め、平安時代に芸術を完成させた。次の戦国時代という乱世を経て徳川300年では、知をもって学術を究めた。求めるものは真理です。第3期は意思の時代に突入し、道徳上の善を求めて混乱しています。知、情、意の展開です。現在は第3期の「古代」にあたる時期。だから万葉集に魅力を感じるんです。

毎日新聞 2010年9月25日 東京朝刊

第2期は、直感的には”武”の時代。征夷大将軍の、幕府の、武家政治の時代。


それは、正義を知に求める時代だった、と言えるのかも。
それはある意味、情から離れ、外にある規範に沿って行動する時代だったかも。


そこから、”意”の時代に移行していくのにあたり、大切な事はこれなんじゃなかろうか。

 中西 最近、好きな言葉を聞かれると、「優游涵泳(ゆうゆうかんえい)」と言います。論語にある「七十にして矩(のり)を踰(こ)えず」について朱子が注釈している中で、「学者は優游涵泳しなさい」と書いている。せっかちに尋ねまわるのではなく、ゆったりと遊ぶような気持ちで、心を水にとぷりとひたして悠々と泳ぐのが学問をする心境だと教えてくれている。これが私のモットーですね。

 岩村 「ひたる」とは、ものごとを自分と切り離して対象化するのではないありようでしょうか。

 中西 ええ、精神のゆとりだと思います。愛という言葉も同じように思います。愛は「昏(くら)い」という意味だと思う。「曖昧(あいまい)」の「曖」の旁(つくり)。愛は何だかわからない。暗闇のようなものが人間の本質を漂わせる領域だと思います。

情に流れて左右されるのでもなく、
知に溺れて切り離すのでもなく、
とぷりとひたって、悠々と泳ぐ。これが”意”の時代なのかも。主観と客観が統合されて、認識と表現がひとつになってる、そんな感じかも。