レスポンシビリティ

はっきりと秋。

管総理の支持率が上がった、と新聞で読んだ瞬間、自らの心の動きをも顧みて、おもった。

あら、僕、今回の代表選挙にまったく関与していないのに、あたかも代表選びに参加したかのような気分で居るぞ・・・

続いて想った。

おぉ、だから日本の選挙の投票率って、低いのかも

そう、この”参加したかのような気分”って、投票に行かないでいて、選挙結果が出た時の感覚と、おんなじ。
これ、実際に投票に行って意中の候補が落選した時よりもずっと、”私が選んだ結果”感は強い。うまく言えないけど。


これって、”空気”をうんぬんする日本だけ?
いや、オバマ大統領の選挙戦ドキュメントで、貧しい黒人たちに投票を呼びかけるボランティアに、こんな感じに答えた人が居た。

いままでずっと、期待しては裏切られてきた。
これで投票して、また裏切られたら、気持ちの持って行き場がない。


なにか具体的な働きかけをして、かなえばいい。でも、かなわないかもしれない。そもそも、まったく不満のない結果なんてないだろう。そのとき、その結果は、自分の行動がもたらしたものだということになる。悔しさや無力感を味わうかも知れない。
一方、働きかけをしなければ。傍観者や評論家で居れば。望む結果が出たら尻馬に乗って喜べばいいし、望まない結果が出たら、それは誰か自分以外のせいだ。なんと美味しい(^^;

趣味と批評とレスポンシビリティ

「いやー、夜行列車には残っていてほしいよ」という人に限って、「では、明日から存続運動してください」というと「いやー意味がないでしょう」とかいって逃げるものである。私は某鉄道路線の存続運動をしている現場を見学したことがあったが、ネット上でこれだけ擁護論があるにも関わらず、実際にビラを撒いて等、積極的に動く人は数人しか存在しなかった。

この記事内で紹介されてる”教えてGoo”の質問者が、実に・・・


質問は、こう。

先日の新聞報道で「銀河」をはじめとするいくつかの寝台列車の廃止が流れておりましたが、このことに関して「鉄道ファン」であるにもかかわらず「夜行列車は収益率が悪く利用価値がないなら廃止してしまえ」といった「鉄道の廃止や縮小を希望する」と自虐的を言う人も意外といるような気がするのです。
鉄道会社の人間ならともかく、鉄道利用者や鉄道ファンからこんな愚かな発言は聞きたくないものですが、なぜそのような発言をするファンがいるのでしょうか、教えてください。

自虐的?!?愚か?!?!?


で、こういった回答が寄せられるのですが

 鉄道は、単なる大型の鉄道模型とは違います。車両や列車、ダイヤだけで成り立つものではなく、それを支える社員の努力、経営者の叡智で成り立ち、その複雑な働きで、我々の社会や生活に役立つものとなるのです。ですので、本当に鉄道を愛好するものであれば、車両や列車にだけ興味を持つというだけではなくて、批判を持ちつつも鉄道会社の社員や経営者の意思決定に敬意を払うというのが自然ではないかと思います。
(中略)
夜行列車の存続論は「残っていたらいいのに」程度の話ならいいのですが、話が進んでいくと、やれあのC社はやる気がないとか、E社は努力せず金儲けしか考えていないとか、鉄道会社やその社員を貶す話になることがあります。根拠あっての話ならいいのですが、実際のところこうした鉄道会社は分割民営化とバブル崩壊後の需要低下という中で、鉄道を愛し、日本の鉄道を消滅の危機から救うために必死の努力をしてきた社員達で成り立っているわけです(幹部含めて)。それを実情も知りもせずに「残さなければいけない」という批判ばかり言う人を眼にすると、個人的には鉄道の実務に携わる人に対して失礼ではないか?そういう事を本人達の前ではないにしろ偉そうに吹聴するのは本当に鉄道の好きな人としてどうなのか?鉄道は好きだとしても人間的にどうなの?と思わざるを得ないような事は時たまあります。鉄道ファンたるもの、鉄道会社を貶めてはいけないでしょう、まあ、これは極端な例かもしれませんが。


こんな感じで応対。

私が想定していた意見は、例えばですが「鉄道ファンである以上にバスや航空機が好きで、寝台特急廃止に伴って乗客が増加&さらなる拡充が期待できるからでは」といったものでして、要するに「鉄道ファンと言いながら、実は他のものにもっと感心がある人が多いからでは」といった回答がもう少し出てくるのではと思っておりました。

極論かもしれませんが「私もあなたと同様、鉄道会社の回し者のような発言をする人が多いと思っています。そうした発言は鉄道会社の人間がするのが役目ですから、むしろ我々は廃止撤回を訴えて行きたいです」という解答が一つくらいあってもいいと思うんですけどね。

利用者側の立場を最優先にした内容のものも出ると思っていたのですが、残念ながら納得のいく回答が得られなくて残念です。

・・・”なぜそのような発言をするファンがいるのでしょうか”と、自分の中にない答えを謙虚に尋ねたのではなく、
質問者ご自身の中に、あらかじめ”正しい答え”がある。で、賛同者を求めているんですね。


傍目に見ると、正直、笑えます。
でも・・・ふと振り返ると、ディズニーパークファンの間でも、こういったやりとりがときどき観られる気が・・・(^^;


本気で現実を変えたいのではなく、
感じたことをありのまま表現しているのでもなく、
攻撃したり、誉めそやしたりすることで、自分の気をまぎらわせたいだけ・・・だったりしないかどうか、よーく気をつけなきゃ。

諸行無常諸法無我

父との生前の最後の会話の中には、なぜか路面電車に関わるものがあった。思えば、それは別れの前触れだったのかもしれない。


 療養中の父曰く
 「どうも路面電車というような存在は、最初から懐かしさを感じるようにしか存在していなかったのではないか?」


(中略)


世の中にはかけがえのない存在が多い、人の死を見、その後システムの死を考え、そして自らの時間の有限さを悟った後、私はそう思った。その一方で、ノスタルジーや魅力と言った、あまり現実の存在の有無とは関係ないところで評価されるものの意外さを感じた。もっとも、そこには現実存在に対する痛烈な批判が含まれているのかもしれない。
 一体、人生とは何なのか、文明とは何なのか、存在とは何なのか?私のアメリカ鉄道趣味は単なる趣味活動ではあるのだが、貴重な人生の時間を割いて行っていること故、こういう問題といつかは向き合っていかなければいけないのかもしれない。

行を通じて法を知る。
最終的には、このレベルまで深まってこそ、趣味・かも。