階級のない社会だからこそ、豪華車両が生まれた

アメリカの鉄道は基本的にモノクラスで、これは階級社会を否定した19世紀のアメリカの世相を反映したものと言われている。長距離列車は普通座席車(Coach)と、プルマン寝台車の二種で構成されていて、プルマン寝台車は、寝台料金の他に、普通座席車より高額の運賃をとられるのが常であったが、これは付加サービスに対する対価という位置付けであった。確かに階級社会を反映した等級制度となると、大してサービス内容に差がないのに料金で明確に差をつけるといった事が起り得る。現にヨーロッパの等級制度はそれに近いものがあった。
 こんな社会ではパーラーカーの立場というのはちょっとした問題である。階級制度のないアメリカの鉄道に優等座席車があるというのはいかがなものかと。それに対しては、付加料金を払って贅沢をしたい人ならだれでも利用できる付加サービスを行う車両である、という微妙な言い訳がなされた。平等というのはある種建前だけのところがあり、黒人の座席車乗車が許されなかった状態が長く続いた(1のだから優等座席車の存在くらいどうでもいいような気もするが、こういう気兼ねもあったのか、アメリカのパーラーカーでは付加料金に見合うだけの豪華な設備が設けられていて、ヨーロッパからの旅行者はしばしばこれに驚いていた。ヨーロッパでは1等といっても、窮屈な個室に何人かが押し込まれる構造にかわりはなかったのだが、パーラーカーは基本的に1人がけの回転可能な座席が並ぶ車両である。そして、料金は三等の数倍にも及ぶ1等運賃に比べると非常に廉価であった。

なるほど・・・。