胸、熱くなる旅行記を発見。
新疆いいジャン 【シンジャン イイジャン】
2001年の秋、ちょうどディズニーシーがオープンした頃。
そうそう、乾燥気候だから、体調を崩してしまいがちなんだよなぁ。
手に汗握る展開。幸福な出会いや、摩擦。BBSのおかげで、こんな国際交流も。そして・・・9.11テロ。
僕がトルファンウルムチまで行ったのは、1987年。まだその頃の面影も、この時にはちょっぴりあったみたい。


更にその後の旅行記を読み進めると・・・
”近代化”が進んでしまう街。大地震救援。付き合いが深くなったが故の摩擦。


・・・ディズニーシーで経験したあれやこれやを、想起する。
音楽や芸術の普遍性と共感体験。そして、文化による感性の違い。
異文化交流の楽しさと難しさ。
BBS、ブログ、携帯メールなど、コミュニケーションツールの発展。
ほどよい距離感。
有名になってしまったがゆえの、トラブル。
正確な知見が増えるに連れ、みえてくる新たな課題。



1987年、僕のはじめての海外旅行。
上海に上陸した瞬間、空気の匂いが”中国物産展”。街並みは、産業革命期のロンドンのイラストみたい。”ぅわぁ!異国に来た!!!”と強烈に感動した。
3週間のシルクロード旅行を終え、ウルムチから上海に飛んできて、飛行機のドアをでた瞬間・・・”あぁ、生まれ育った、懐かしい温帯に帰ってきた!”身体が全身でそう告げた。



砂漠では、ひとりでは生きて行けない。
濃密な人間関係。そして、一期一会。
多様な文化。いろんな民族が、やってきては、去っていく。
出来る限りのことはしようと心から願う。でも、環境があまりに厳しいから、その通りできるとは限らない。
だから、約束を守ることより、今起きたことへの対応が優先。未来のことよりも、いま、この時を楽しむことが優先。
・・・温帯の島国で、同じ顔ぶれでチームを組んで生活している私たちとは、文化も判断基準も違って当然。むしろ、ラテンアメリカのひとたちと相通づるものがあるように感じた。



ディズニーシーに出会ってから、僕は、西欧中心ではない歴史観を知った。ごく表層ではあるけれど。
日本はシルクロードの東端、西欧は西端。
むしろ中央アジアこそが世界のど真ん中。例えば音楽も楽器も、この地域を中心に生まれ、交流し、伝播し。



この9/6から、6日間のツアーを開催されるそうな。あぁ、参加してみたいなぁ・・・。
ウイグル音楽家・鷲尾さん同行「踊るシルクロード」ツアーとは?