”持続可能な成長”と、”目に見えない価値/資本”

社員は家族 と 創造性の発揮

やる気を引き出すには社員に「これは自分の会社だ」と思わせればいいんだ、と。社員が自分のうち(自宅)のように感じる会社にすればいい

この言葉で思い出したのが、ちょうどほぼ1年前、カンブリア宮殿に出演されていたJTBの会長さん
従業員をこころから大切にしている、その姿勢がとても素敵だった。

  • なんのために、誰のために、働いてますか?

平和のため、平和をつくるために。・・・それによって、知育も豊かになる。
誰のため・・・家族のため、だなぁ。社員も家族。

長く不振に苦しむ大手旅行代理店のなかで、ほぼ唯一、順調に業績が推移してるように、僕にはみえていたJTB
でも、今日の朝刊で

 JTBはグループ全体で国内に約940店舗を展開。00年代初頭までは駅前を中心に店舗網の拡大を進めてきたが、低迷する需要をカバーするには、人件費や賃料などを伴う店頭営業の縮小が必要と判断した。

記事を読む限りでは、なんだか他社追随というか、後ろ向きな縮小策に観える。店舗を2割閉鎖となると、

社員も家族

も、削減ということになるのだろうか。
このたびの急激な情勢の変化には、こうでもしないと対応しきれないのかなぁ・・・。
どうかJTBさんが、幸せな改革を遂げられますように。

私が大事にしていることは3つある。それは時間軸、公、「利他」ということ。

私は常に会社の永続を目指すと社員に話している。会社が長く続くために急成長は必要ない。

屋久杉の年輪をご覧になったことがあるだろうか。年輪はものすごく細かい。屋久杉は低成長だからこそ、6000年も生きていられる。会社も同じ。1年の成長が少ないほど長生きできる。

会社の成長というと世間一般では売上高が増えることと考えている。しかし、わが社の定義は違う。仮に売上高が同じでも、適正な利益があり、その利益を正しく使って外部の人も社員も「自分は成長した」と実感できれば、それが「成長」だ。きざな言い方だが、社員全体の幸福度の総和が大きくなっていくことが当社の成長なのだ。

目に見えない価値/資本 と 貨幣

”持続可能な成長”のためには、物質に頼らない経済成長への移行が必須だ。
資源の中で、唯一無尽蔵な、ひとの創造性だけが、その成長の原動力になる。
・・・ここまでは、はっきり観えている。

貨幣経済という従来の経済学の“土俵”を超えたところで資本主義のパラダイム転換が起こっている
(中略)
(1)「操作主義経済」から「複雑系経済」へ。
(2)「知識経済」から「共感経済」へ。
(3)「貨幣経済」から「自発経済」へ。
(4)「享受型経済」から「参加型経済」へ。
(5)「無限成長経済」から「地球環境経済」へ。
(中略)
重要なのは、こうしたパラダイム転換の先に“成熟した資本主義社会”が広がっていること。貨幣では測れない「豊かさ」、つまり、知識、関係、信頼、評判、文化といった「目に見えない価値/資本」を重視する「目に見えない資本主義」が誕生するというわけだ。


こうした「資本」は日本人が大事にしてきた価値観に重なる。かねて田坂さんが提唱してきた「日本型経営の復活」である。

日本型経営に自信を失っていた人たちを元気づけたいし、働く喜び『働きがい』も取り戻したい。拝金主義に抵抗する庶民の英知など、日本は不思議な宝物を手にした国なんですよ

なるほど、その通りだろうなぁ。


僕にまだはっきり観えていないのは、そのとき、貨幣はどうなるのか。
金利を取る以上、貨幣換算した経済規模が毎年大きくなっていかなければ、貸し倒れが必ず発生することになる。
どんな道があり得るのか・・・

  1. 金利を取らない・マイナス金利にする
    1. イスラム金融のように、金利は無しで、手数料のみ認める?
    2. 紙幣を”有効期間1年・そのあとは0.8掛け”のクーポン券と交換する?
    3. インフレーションで実質マイナス金利にする?
  2. 貨幣換算した経済規模の拡大
    1. インフレーション?
    2. 貨幣では測れない「豊かさ」、つまり、知識、関係、信頼、評判、文化といった「目に見えない価値/資本」を、貨幣化する?


たぶんキモは、”貨幣では測れない「豊かさ」”を、どう”経済化”・・・定量化・数値化・交換可能化するか/できるか/しないか、なんだろうなぁ。
遠い未来、貨幣が衰退し、別の指標を主体に生活するようになってるのかもしれない。その過程では、大混乱がおきそうだなぁ・・・。
糸井重里さんが言ってた、”仕事をさせてくれてありがとう”ポイントみたいなもの、ができるのかもしれない。


”貨幣では測れない「豊かさ」”と貨幣との、うまいリンクのさせ方を発明すべきなのかもしれない。
いや、それこそがいわゆる”ビジネスモデルの発明”そのものなのかもなぁ。


そもそも・・・知識、関係、信頼、評判、文化といった「目に見えない価値/資本」は、なぜ”貨幣では測れない”のだろう。
たぶん、物質の大きさ・数量・純度と違って、比較しづらいし、定量化しづらいし、時と場合とひとによって、意味の深さがまったく違うから、かな。
でもそれは、物質だって、ある程度そうだよなぁ。
おなじスパイスでも、地域によって、相対価値は違う。その交換が”貿易”の原動力。
時と場合とひとによって、大きな満足を得られることも、ゴミになることもある。その差異が、ものを活かす工夫の原動力。
してみると、貨幣って、かなりうまく機能してきた。それは物質に対してのみならず、「目に見えない価値/資本」に対しても、同様に機能しうるよなぁ。


ううむ。
問題はどこにあるのだろう?


貨幣では測れない「豊かさ」への、ひとりひとりの感度を増す必要があるんだろう。
大きいと、ありがたい・・・ほんとにそうか?
スパイスが効いてるから、おいしい・・・ほんとにそうか?
物質の大きさ・数量・純度・価格といった外的指標をさておいて、
ほんとのところ、いま、自分が、どう感じ、どんな恩恵を受けたのか、しっかり知覚する。
その能力が磨かれてこそ、「目に見えない価値/資本」を重視した経済が成立するのだろう。


「果たして生きていけるか」という不安が、目を曇らせているような気がする。
マズローの5段階説で言うように、基礎的な欲求が満たされていないのに、高次な価値を大切にしようという気には、なかなかなれないのかも。
でももしかしたら逆に、高次な価値を大切にすれば、あとはなんとかなるのかも。