凡才の集団は孤高の天才に勝る

 江戸の連には強力なリーダーがいない。町長や村長など「長」のつく組織は明治以降のものであって、町や村もピラミッド型組織にはなっていなかった。それは短所だと言われてきた。戦争をするには、なるほど短所であろう。しかし新しいアイデアや革新を起こすには、社員全員で即興的に対応する組織の方が、はるかに大きな業績を上げている。

 本書で提唱しているのはコラボレーション・ウェブ(蜘蛛(くも)の巣状の網の目)である。その基本の一つが会話だ。事例として日本の大学生の会話も収録されている。そこに見える間接的な言い回しが、可能性を引き出し創造性につながるものとされている。日本語(人)の曖昧(あいまい)さと言われるものが、実はコラボレーションの大事な要因なのだ。相手の話をじっと聞き、それを自分の考えと連ねることによって、新たな地平に導く可能性があるからだ。これは相手まかせではできない。能動的な姿勢をもっていてこそできることである。人を受け容(い)れるとは能動的な行為なのだ。


 江戸時代までの日本人は、集団的なのではなく連的であった。本書もピラミッド型集団とコラボレーションとの違いを明確に区別している。こういう本を読んで、日本のコラボレーションの伝統と力量に、今こそ注目すべきだ。(金子宣子・訳)

毎日新聞 2009年3月22日 東京朝刊

明治維新このかた、日本は軍隊を真似た組織によって、西洋においつこうとしてきた。
戦時中、効率第一の体制が組まれ、戦後は、その体制をフル活用して・・・
経済は大阪、政治は東京と2つの中心があったのを、すべて東京に集中して。


でも、ここから先は、
効率も大切だけれど、
それ以上に、創造性が大切な時代になる。


先日TV放映された”七人の侍”、なぜだかエンディングのこの台詞が、深くこころに残っていました。
田植えにいそしむ村人たちを眺めながら、侍二人が

「また生き残ってしまいました。」
「今度も負け戦じゃったな・・・。勝ったのは、農民たちじゃ。」