たばこの宣伝広告やドアに取り付けた特別な防犯錠、それを突破した強盗をぶち込む刑務所はどれも含まれるのに、詩の美しさや夫婦のきずなは含まれない。森林破壊や核弾頭の費用は算入されても、公開討論や英知は加算されない。子供におもちゃを売ろうと暴力を美化したテレビ番組は数に入るのに、子供の健康や喜びは入らない。

毎日新聞 2009年2月6日 0時02分

ケネディ米大統領の弟、故ロバート・ケネディさんが、40年前、GNPを批判して述べた言葉だそうな。

世の中には数で計れないモノが沢山ある。
でも社会は数字を絶対的に信用してきた。

業務改善のため、ABC/ABM手法や、QC/QA活動をやってきて、つくづく想う。
データって、どんな風にでも創れる。
表現したいこと、解明したいことを、はっきりと自分が持っていてこそ、データは大切な何かを語ってくれる。見せてくれる。
自分がなにを為したいのかを見失ったとき、データは、道をかき消す霧になるのみならず、時には誤った方向へと誘導する魔力にもなる。


言葉だってそうだ。
”固定費の変動費化”なんて作文だけを読むと、
待遇の違いでばらばらになる職場や、仕事が減ったからと職を失い苦しむ人の姿は見えなくなる。
”つぶれるべき企業は退場してもらう”という作文の向こうに、
取引先に迷惑かけまいと必至で金策し、万策尽き果てて、自ら命を絶つ経営者や、嘆き悲しむ家族の姿も見えているだろうか。


ほんとに大切なものって、
データで計れない。
言葉で表しきれない。
音楽でも、絵画でも、パントマイムでも、表しきれはしない。


逆に。
大切なものを、しっかり感じ取れていればこそ、
その一側面をモデル化して、
データ、言葉、芸術で表すことができる。


大切なのは、まず、なにが大切なのかをちゃんと感じ取っていること。

<表現力の差は、他者の思いを想い、思い至る力の差>
仲畑貴志さん みんなに好かれようとして、みんなに嫌われる。

思い至る力を、磨かなきゃ。