北朝鮮の収容所

 収容所に送られた男女が、まじめに働いた報酬として数日間同居を許された結果、82年に生まれた。脱北経験のある男性収容者から「外に出れば腹いっぱい食べられ、休みたい時に休める」と聞かされた時の驚きは忘れられない。「そんな暮らしを送りたい」との思いが、生まれ育った場所からの脱出へと駆り立てた。


 実行したのは05年1月。「外」を教えてくれた男性も一緒に試みたが、雪で滑り有刺鉄線で感電し倒れた。その背中を踏んでくぐり出た。失敗すれば命はない状況で、倒れた男性への同情より喜びが大きかった。


 収容所以外の生活を知らないため、トウモロコシ飯の食事、早朝から深夜の重労働は当たり前。抱えたミシンを落として壊したため、自身が受けた右手中指の第1関節切断の処罰も「違和感なく受け入れた」。目の前で行われた母と兄の公開処刑さえ、「自分でなくて良かった」と感じた。愛、希望、友情……。それらの言葉は06年8月に韓国に来て初めて知った。


 脱北して空腹から解放されたが、次に襲ってきたのは22年間に及ぶ異常な記憶と向き合うつらさと、自由をどう使えばいいのかとの悩みだった。「北朝鮮で苦しんでいる人たちを助けることにつながる」。今はそう信じて、講演で体験を伝えている。【工藤哲】

 【略歴】申東赫(シン・ドンヒョク)さん ソウル在住。自伝「収容所に生まれた僕は愛を知らない」(KKベストセラーズ)を17日に出版。25歳。

毎日新聞 2008年3月10日 0時11分

こころの太陽を、どこにでも持って行けるようになりたいと書いたものの、
あまりに痛ましくて、申さんのこころに映った風景は、観たくない。僕のこころが、耐えられそうに無い。


そしてなによりも痛ましいのは、そういう体制を維持してるひとたちの、こころの風景だなぁ・・・。


でも、ご当人たちは、自分のこころの痛みを、シャットアウトしてしまうからこそ、
残虐な仕打ちを受けることも、なすことも、平気になってしまえる。


こころの痛みに、ありのまま向き合えるような、そんな平和な世界でありますように。