補足説明

Hiroetteさんはこの部分、すんなり理解されると想うのですが、ほかの方々のために。

心の鎖をはずす作業は、たぶん生きている限り、永遠に続きます。
「これはこういうものだ」と決め付け、ラベル貼りをし、グル−プ分けをすることで、私たちは世界を説明し、理解し・・・たつもりになっています。だから、常に新しい固定観念が生まれ、それは動的な生の世界とずれていく。

たとえば、「これが恋というものだよ」と教わった瞬間、「恋とはこういうものだ」という固定観念が自分の中にできあがります。でも、たぶん、恋のある側面しか見ていない。そもそも、時によって、ひとによって、場所によって、恋と呼ばれるものは多様に移り変わっていく。自分自身の中でさえも。
自分の中の恋のイメージと、今体験している現実とがずれた時に、
イメージを、自分の今の真実に照らして修正できるか・否か。
ずれたままのイメージは心の鎖になります。今の真実をみつめ、受け入れれば、心の鎖はほどけます。
「納豆とはこういうものだ」「BigLoveはこういうやつだ」「私はこんな人間だ」・・・現実の納豆も、ひとも、瞬間瞬間、実は違います。でもわれわれ人間は、イメージを固定化して、同じように扱おうとする。そのほうが関係を固定化でき、類推も効き、結果も予測できて便利だから。


便利であるかわりに、失っているものも多い。
特に、イメージと自分の真実とのズレが大きくなったときには。


ありのままを感じる。もののあはれを感じる。その大切さが、古来日本では説かれてきたそうです。
一旦説明を脇において、生の今の真実を味わう。
それが、固定観念のズレに気づき、めがねの歪みをとり、心の鎖をほどく鍵です。