語り尽くせない体験を、語り継ぐ。

観ていてとてもリアリティーがあり・・・
本当にこのような戦闘が行われていたんじゃないかと・・・
ハッキリ言って 怖かったです。

残酷な描写も多く、人の命という物を考えさせられます。

今回クリント・イーストウッドさんは、意を尽くして描いたんだなぁ。
そして、実際の硫黄島の戦闘は、更にずっとずっと凄惨なものだったんだそうです・・・。

 以前、硫黄島の壕(ごう)に入ったことがある。赤土の地肌から硫黄のガスを含んだ蒸気がもやもやと立ち上っていた。むっとする熱と湿気と硫黄のガスで5分と我慢できなかった。ここで、水も食糧も断たれ1カ月余り耐えた。映画では表現できないかもしれない。
(中略)
 ……「おーい、海軍さん、まわりの死体をかき集めて、そのなかにかくれな」と言われた。兵士は、近くの戦死者の腹を裂き内臓を取り出すと、自分の上着のボタンを外して押し込み、死んだふりをして敵を待つ。

僕は広島出身なので、これまで3回、原子爆弾被爆体験を、直接話していただく機会がありました。
お三方とも共通して、淡々ととつとつと語られるんだ。
その静かな語り口から浮かんでくる情景は、想像を絶する凄惨さで。果たして自分がそこに立ったときに、どんな感覚を抱くだろうなんて、想像しても想像しきれない。
目の前で語ってくださっている方が、どんなに辛い思いをしたか、ひしひしと伝わってくる。けれど、実際の痛みの数千分の一も、僕は受け取りきれて居ないだろうって、はっきりわかってしまう。
ただただ、「想像しても想像しても想像しきれない、すさまじい痛みを、この方たちが体験したんだな」ということだけが、圧倒的な事実として目の前にある。

栗林氏は、米国では絵手紙作家としても知られているという。
 硫黄島で書いた手紙は、妻と末娘のたか子あてだった。米国時代の絵手紙とともに「『玉砕総指揮官』の絵手紙」(小学館文庫)に収録されている。
 当時10歳のたか子への手紙は「たこちゃんへ」で始まる。
(中略)
 以前「たこちゃん」に電話取材したことがある。戦後、軍人の家族だといじめられた。小さなアパートで母親が内職をしていた。早大に在学中、大映の新人女優に採用されたが助監督と結婚し、夫の実家の幼稚園を継いで、園長をしている−−。淡々と語り、こう言った。

 「父は職業軍人でございましたから、戦死は家族も覚悟のことでございます。でも墓参団に参加した時に、桟橋に集まったご遺族を見て、こんなに多くの方々の、大切なご家族をお連れしてしまったのかと、申し訳なくて……」

 この言葉が、いまだに耳に残っている。名誉回復ばかりを主張するA級戦犯の遺族の談話とつい比べてしまう。 中将は、娘への最後の手紙の最後を「誰にでも好かれるような人になりなさいね。左様なら。/お父さんより」と結んだ。娘は父の願い通りの人になったが、2年前、69歳で病没した。7000人の園児を育てた。

僕もぜひ、「硫黄島からの手紙」を観ようと想ってます。
12/27に観てきました。