啐啄の機(そったくの機)
ひとはみな、実は、自分で自分をなにかしら洗脳している。
もともとは、自分に良かれと思ってした洗脳。
それがいつしか、視野を歪め、ほんとの望みとのズレを生み、自分で自分を苦しめてたりする。
例えば、「目立ったりカッコつけたりするのは、いけないこと」と決め付けてる人は、「目立ちたい・カッコよくありたい」という願望や資質を、事在るごとに抑圧する。
ほんとは、目立ったり、カッコつけたりすることこそが、その人の長所になりうるのに・・・才能を発揮することを、自分で妨げて、葛藤して、ついには「私なんて生きてる価値が無い」と苦しんでいたり・・・。
そりゃそうだ。自分で自分の才能や望みを殺しているんだもの。
ところが・・・
自分が自分をどう洗脳しているのかって、実に気づきにくい。
たとえ他人からはまるわかりでも。そして、それを明確に教えてあげても。
では、どうするか。
まず自分自身に対して、とことん正直になる必要がある。
自分の中に、どんな会話が生まれているのか。どんな感情の動きがあるのか。どう価値判断しているのか。どんな感覚があるのか。ありのままに見つめる。表現する。
「あっ、こういう感情は表現したらヤバイ」
「あっ、こんなこと考えてはいけない」
と、瞬時に・無意識に蓋をしてしまうものが、最初はたくさんある。
やがて、蓋をしてるってことに気づいてきて、なにをヤバイ・いけないと決めつけているのか、だんだんと見えてくる。
どうも息苦しい。なにかが違う。殻の中に居るみたい。色眼鏡をかけてるようだ・・・。
こうして準備が出来たところで、「ちょん」とつっつくと、「ぱかっ」と洗脳が解ける。まるで殻が割れるように。
雛鳥が卵の中で大きくなって、いよいよ殻を破るとき。
内側からちょんちょんっと突っつくんだそうな。親鳥は、すかさず外から突っつく。すると殻が「ぱかっ」と割れる。
このタイミングを「啐啄の機(そったくの機)」と言うんだそうな。
準備が出来てないときに、突っついても駄目。
機を逃して、後から突っついても駄目。
本人が殻を破ろうとする、まさにその時に、的確に突っつく必要がある。
私の友人、天然さんが、啐啄の機を迎えました。
今、これだけは出来ます。
「注目を集めることや、格好をつけることや、目立ちたがることは、美点」だと認めることは出来ます。
昨日、「私は生きててもいい。」いう感覚が自分の体の中にストンと落ちてきました。
今、欝に苦しんでおられる方の中には、天然さんのこの記事が、脱出の大きなヒントになる方もいらっしゃるかもしれません。
あとは、天然さんが、天然さんをどう活かしていくのか、決意するだけ。
果たしてその決意に、行き着くかな?
それともまた、まわれ右して、穴にこもっちゃうかな?