感覚と言語

「幸せ」は、とらえどころがないように見えます。
でも、「幸福感」は、確固として存在します。
日本語を知らない人に、「これが幸福感だよ」って、演じてみせてあげることもできる。
脳科学が進めば、”脳内物質のXXがzzppm以上の濃度になったとき”とか、”oo中枢が興奮状態になったとき”なぁんていうふうに幸福感を定義することも、出来るようになるかも。


すべての言葉は、感覚がベースになって生まれている。


考えるよりも、まず感じる。感性と直観で行動し、体験し、味わう。
・・・これは、大切です。思考が先にたつと「昨日と同じ明日」を迎えようとしてしまう。
そしてそれから。
その体験を、言葉にしてみる。再表現してみる。
・・・言葉になんて、しきれないんです。体験すべての、ごくごく一側面しかすくいあげられない。表現できない。言葉なんて、とっても限定されたツール。でも、あえて言葉にしてみる。写真・動画・音楽・ダンスでもいい。それらもひとつの言葉ですよね。


すると、自分という存在を通した、あたらしい表現が生まれる。
だれかがそれを、体験する。


この繰り返し。