自分を傷つけられるのは、自分だけ

ということができます。
お釈迦さんが言ってる「苦は自分の観方・捉え方から生まれる」に近いんですが・・・


たとえば。
「馬鹿にされた」と傷ついたとします。


「馬鹿にされた」・・・と捉えたのは、自分。
「馬鹿にされたら、自分の価値に傷がつく」・・・と考えているのも、自分。


「ひとつの情報だ」・・・と捉えることも出来る。
その情報を元に、自分の価値を高めるのも、貶めるのも、自分次第。


いやいやそもそも、自分の価値って、高めるも貶めるも、無いのかもしれません。
高いとか貶めるとか言ってるとき、そこには基準がある。
基準をセットしてるのは・・・自分。


日本って、ありがたくも面白い社会で、「ひどい目にあった、こんなに大変、こんなに心配、もうどうしよう!!!」って言ってると、「おおよしよし、そりゃつらいねぇ、ひどいよねぇ、可愛そうだねぇ」とかまってもらえがち。
そして、それに終始する関係って、なんにも創造しない。
感情なんて所詮、コミュニケーションのために生み出された道具にすぎない。大切なのは、その道具を使って、なにを為すのかだ。


「傷ついた!」のなら、いったい自分のなにが傷ついたのか、よーく観てみるといい。
自分がどんな期待と夢を持っているのかが、そして、その期待と夢を、今まさに自分自身があきらめようとしているってことが、はっきり観えてくるから。
そして、選びなおせばいい。執着なら捨てる、魂の望みならそのまま望む。


毎瞬、どうなったら素敵か・・・を観、創造しなおしていれば、傷つくことなんてない。