イラク身柄拘束事件
バイアスのかかった情報ばかりだし、私がイラク現地を見ているわけでもないので、はっきりしたことは言い切れないけれど・・・
- 政府サイドからは、今回拘束された5人は迷惑で自分勝手な存在に見えてるのかな。「政府の勧告に従わず、政府の指揮下に入らず、それでいて救出には多大な労力をかけさせられた」から。
- でも逆に。もし自衛隊を派遣していなかったら、あの5人は拘束されなかっただろう。現にほぼ同時に拘束されたものの、国籍確認後、すぐ解放されてる人たちも居るわけだ。
- NGOサイドからみれば、日本政府は「憲法の精神を破って、イラクの人々のためにならない政策決定をし、NGOが活動しづらい状況を創った」と観えるのでは。
小泉さんが自衛隊派遣決定をしたから、これまでターゲットにならずに活動できていた日本人が狙われる結果となった。その解決に尽力するのは、小泉さんの自己責任と言えるんではないだろうか(^^;。
民主主義が機能するためには、もめてる当事者以外の、第3者の多様な現況報告が必要。日本人はこれまで、日本政府が「軍事的当事者にならない」選択をしつづけてきたおかげで、紛争現場で狙われにくかった・第3者として活動しやすかった・みたい。
真に問うべきは、自衛隊が軍服姿で駐留することが、イラクの平和に効果的か否か。
毎日新聞夕刊 美輪明宏さんのインタビュー記事「この人、この時」にこんな記述があった。
終戦後、アメリカ人が長崎に来たとき、どうやってきたと思います?
丸腰でアロハ着てやって来たんです。しかも、士官学校出身の紳士ばっかり。それが手にいっぱいチョコレートを持って町に繰り出してきた。「鬼畜米英」ってウソだったんだって思いました。あの時米兵が軍服着て、機関銃持ってたら、私たちも恐怖を感じたでしょう。
もちろんイメージ戦略。そして、立派。そこに込められた意思は、崇高で気高いとさえいえるだろう。(まず間違いなく、戦友や部下を、誰かしら日本人に殺されてるわけだよね。)
ヘビメタを大音量で流しながらファルージャの町を装甲車でうろつきまわるのと、同じ米軍とは思えないなぁ・・・。いや、現在の米軍の立場では、アロハシャツは実際無理だろうけれど、自衛隊なら、平服での駐留は可能だったんじゃぁないかなぁ・・・。
- 和をもって尊しとなす。
その和って、思い込みを廃し、価値観の違いを受容し、クリアに現況を認識することから深まるのだと思う。
コミュニケーション密度を薄めれば、見かけ上の軋轢は減る。が、推測が増え、思い込みが増し、身内とそうでない人を生み、集団外とのもめごとを生む・ような気がするなぁ・・・。