「安全がある」という神話

 今回の東京電力福島第1原子力発電所での事故に関して「安全神話の崩壊」という決まり文句をよく耳にする。しかし1995年に起こった高速増殖原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏出事故など原子力関係の事故は−−今回ほど大事でないにしろ−−今までも何度もあった。その度にこの決まり文句が使われてきた。

(中略)食の世界でも安全神話、実は何度も崩壊している。同じような構図は原子力や食だけでなく建築や交通など、さまざまな分野で繰り返されている。

 何度でも崩壊しゾンビのように復活する。それは「安全神話は崩壊した」と言いながら、日本人がその親玉の「安全がある神話」をかたくなに捨てようとしないからだ。

 「安全」とは見果てぬ夢−−「100%安全」に近づくための不断の「より安全になるためのプロセス」しか存在しない−−それが近年世界の工学界では一般化している「機能安全」の基本思想だ。

(中略)

 皆が優秀でそれぞれの現場でコストを掛け安全になるべくして努力したからこそ実現された日本の安全。しかし、その時代が続いたために、いつのまにか安全が本来の状況と皆が信じ込んでしまった。しかし、それはもはや過去の話だ。ならば「安全がある神話」を捨てるしかない。人々が「安全がある神話」を捨てず、それを関係者に強要し続ける限り「より安全になるためのプロセス」という新たな安全概念の時代に日本は入ることができないのである。=毎週日曜日に掲載

毎日新聞 2011年5月22日 東京朝刊

新型インフルエンザ。
効果が期待できないのに労力が大きすぎる水際作戦に、固執した。
一方で、すでに国内に持ち込まれているかも・と検証するために、サンプルを検査に出す医師はごく少なかった。
昨シーズンは、本来危惧されていた鳥インフルエンザの国内蔓延という事態が起きているのに、ひとへの感染防止対策は十全になされなかった。


今回も似ている。
メルトダウンした可能性がある・と記者会見で答えた審議官が交代させられたり、
文部科学省の基準値を下回ったから、安心・と言いたがるひとが居たり、
SPEEDIの予測データが公表されなかったり、
関東一円の土壌汚染調査を、公的機関がなかなか実施したがらなかったり。


「より安全になるためのプロセス」を進めるには、まず入り口で、どんな危害が起こりうるのかあらいざらい想定し、列挙する。
そして、深刻度や確率の高低、どこで防御するのが効果的かを分析し、基準や仕事のしかたを組み立てる。
現況がどうなっているのか、新たにわかった知見はないか、随時情報を収集し、基準や仕事のしかたを見直す。


ところが。
「安心したい」
これを強く求めるから、
不安をかきたてるような想定・推定・データ収集は、口にすることさえ「不穏当だ」と妨げられる。
「より安全になるためのプロセス」が、入り口で止まる。改良が進まない。


要改善点を発見し、継続的に改良していくこのプロセスは、実は日本のお家芸だ。
P-D-C-Aサイクルと呼ばれ、日本のものづくりを世界一といわれるまでにした。
この仕事のやり方が、ここ20年ほどでマネジメントシステムの国際標準に取り込まれ、世界に普及している。


安易に安心したがるのをやめる。
それだけで、いい。
それだけで、より安全になるためのプロセスが、順調にまわる社会になる。
もともと、お家芸なのだから。
いまこそが、そのチャンス。


ほんとの安心は、不安を直視し、分析し、対応してこそ生まれる。