裁判員制度1年

昨年の5/21に施行され、はじめての公判が一年前の今日だったんだそうな。
”えっ、まだ一年しか経ってないの?!?”・・・という感じ。
はじめのころは、各公判の内容が詳細に報道されていたっけ。もはやすっかり定着したように感じている。
法律への意識もはっきりと変わった。どこかの偉い人が決め・裁くものではなく、自分自身が裁きに携わる可能性がある。
・・・となると、裁判の報道に触れるたび、自分ならどう判断するのか、これまでよりぐっと真摯に自問自答せざるを得ない。司法への関心のみならず、法そのものがどうあるべきかを考えざるを得ないから、立法にもおのずと関心が向く。
一年でこうだから、たぶんこの先、僕たち日本人の”法”や”公”の感覚って、おおきく変化していくことだろう。だれかにお任せではなく、自分自身も見識を磨き、意見を述べるように。
死刑の是非についても、”自分が判断せざるを得ない立場になるかも”と想ったときに、意見が変わる人は多いのではないかなぁ。


一方、対照的な感覚なのが、”新型インフルエンザ”一年。
”えっ、もう一年たっちゃったの?!?”・・・という感じ。
そのくせ、すっかりあのヒステリックな報道や騒動は忘れ去られ、きちんとした総括もなされないままだ。
流言蜚語で沢山の人を殺してしまった関東大震災と、いまの日本と。あまりメンタリティは変わっていないんじゃなかろうか・・・と悲しくなってしまう。


裁判員”という立場に任命されれば、きちんと見識を発揮できる日本人。
しかしながら、その他大勢でいるときには、無責任になってしまえる・・・のかも。