Scola 坂本龍一 音楽の学校 最終回 ドラム&ベース編4 コンピューター登場以後

いやぁ、見応えがあった。音楽を変えた当事者たち直々の回想談だけに。


1970年代後半、コンピューターリズムが音楽にとりいれられはじめる。ドイツ”クラフトワーク”のアルバム”アウトバーン”、アメリカのディスコサウンド


YMO結成。
はじめは、グルーブをまったくつぶして、その未知の面白さに興奮した。最初にやったのが”ファイヤークラッカー”のカバー。「生演奏でグルーブつけてやってもみたけど、全然面白くなかったんだよね・・・」
すぐ飽きて、音のタイミングを、当時の分解能・1/12ずつずらしてみた。すると、14:10だと沖縄のノリ、デキシーだとこう・・・数字で秘密がわかった。
数年後、タイミングは等間隔でも、強弱でもグルーブが出ることがわかった。(初期のシンセサイザーには、ベロシティが無かったため、強弱をつけられなかった)
かくして、”感性”で生まれていたグルーブが、理論化される。


アルバム”テクノデリック”のとき、生アドリブ演奏とコンピュータ演奏の融合。細野さんは日本一のベーシストだったのに「ベーシストっていうアイデンティティを失ってたんだよね。ベース弾くなんて、どうでも良くなってた。」「”音楽を作る人”になっちゃってましたよね」ベースをひくことを数年やってなかったけれど、坂本さん・高橋さんは彼のベースのファン。頼み込んで、生ベースを入れてもらったのがきっかけ。


YMOのころは、1音ずつ、何時間も何日もかけて重ねていって作りあげてたのが、
いまは機材の進歩で、リアルタイムで、バンドで(ひとりでも)、沢山の音を重ねて生パフォーマンスできる。
細野さんと幸弘さんのユニット結成・そこに坂本さんも合流してYMO再結成。
指でドラムが打てるから、足では無理なすっごく速いフレーズを創れたり。
で、創っちゃうと、それを足で挑戦したくなる。
身体性とコンピュータ利用と、相互に影響しながら、進んでいる。


リズムが走るのって、いいよねぇ!
若い頃は、リズムが走るなんて許せなかった。一定のテンポで始まったら、きっちりおんなじテンポで終わる・と。
でも人間、興奮すればリズムが早くなっていくのが自然。
実際、YMOの初期のライブ見ると、打ち込みじゃない曲は、僕、すっごく速いテンポで叩いちゃてるんだよね・と幸弘さん。


やがて身体が動かなくなるから、いまのうちに・いましかできない音楽を。
幸弘さんが、これまで長年、耳で聴いてきて蓄積されてきたフレーズやノリがあって。それがようやくこの歳で、実際にたたけるようになった・と。
で、そろそろ身体が動かなくなっても出来る様、準備しとかなきゃ・・・なんて言ってて、でもこれ、YMOつくったころにまったくおんなじこと言ってたんだよね。と、坂本さんと幸弘さん。
細野さんが、でもさ、80になっても90になっても、現役でやってるミュージシャンがたくさん居るよね。元気だよねぇ。あのひとたちの音は、若者には出せない。
うん、かなわないよね。それが音楽の面白さだよね。
・・・先週・先々週の集大成みたいなお話。



音には、そのひとそのものが、素直に出ちゃうんだろうなぁ。
だから、面白い。