世界ぶらり町歩き パリオペラ座界わい

パサージュ。19世紀はじめに生まれた、アーケード街の元祖・・・って言っていいんだろうな。
写真では観たことあって、あこがれていたけれど、
こうしてひとびとが生活している様子を観ると、想像をはるかに上回って素敵。
美しい。パサージュごとに個性がある。デザインされていて統一感があるのに、窮屈じゃない。都会なのに、つながりがあって心地いい。

パサージュには、ここちよい風が流れている。
それに乗って、ひとびとが集まるんだ。

詩的なことばを、さらりと語る店主。
お客さんも、道行く人々も、店主たちも、みな生活を楽しんでる。
アーケード上の居住区の、なんと住み心地よさそうなこと。日当たりのいい緑豊かな中庭のガラス屋根の下、行き交うひとびとが見える。


きっと”パリにはこんなものがあるらしい”と、話に聞き、絵や写真を見て、
少しでも近いものを・・・とアーケードを商店街にかけ、
それを更にまねて、他の都市が・・・
で、いま日本中にアーケード街があるのだろう。
中野ブロードウェイ三宮センター街、きっとデザインした人は、パサージュを観たことだろう。もしかしたら旧丸ビルなんかも。
計画にGoサインを出す人や、商店主たちも、実際にパサージュを観ていたなら、もっともっと素敵になったんじゃないだろうか。
日本の商店街やショッピングセンターって、もっともっと素敵になりうるんじゃないだろうか。


路面電車と似ている。
ヨーロッパでこんなふうに活用されている・・・と写真やことばで紹介されても、
それにLRTという新しい呼び名をつけてプロモーションし、補助金がつくようになっても、
観たことのある、近隣の町やせいぜい国内の事例が、イマジネーションの足をひっぱる。


パリのひとびとがいい。
都会的な間合い。なのに、話しかけるとにこっとフランクで、思いやりがある。
取材スタッフがいい。
声も姿も映らないけれど、素直な好奇心とオープンなこころ。地下の暖房設備や、アーケード上の居住部分にまで招かれたのは、偶然じゃない。



冒頭、元王宮の広い中庭で、楽しく遊ぶ幼稚園児。ボールを噴水に落とし、”ぼくじゃない”と拗ねて走り出し、追いかけた先生と、いつしか競走に(^^)
パサージュ完成の3年後、ひいおじいさんが開業して200年近く続く本屋。
第1次大戦の絵葉書を眺めながら、第2次大戦の思い出を語ってくれたおじさん。
フランス革命後、資本家の台頭とともに生まれ、百数十箇所あったというパサージュ、いまは十数か所。パリってふるい建物をずっと大切に残してると思ってたけど・・・まてよ、ナポレオン3世時代のオスマンの街路改造があったな!それよりも前に、こんな現代的・いや、現代でもなお学ぶべきことが多い商店街が!!!


フランス革命・ナポレオン・ナポレオン3世・第1次大戦・第2次大戦
パリ市民が、こんなふうに生活を楽しむようになったのは、激変の時代をくぐりぬけたゆえでもあるんだろうか。
少なくとも印象派が活躍した100年ちょっと前には、もうこういう感じがあったみたいだよなぁ。
passage Paris - Google 検索からさらさらっと走り読みしたら、パサージュは1822から15年ほどの間に盛んに造られたそうな。1850年には150もあったけれど、より大規模な百貨店の登場と、オスマンの都市改造で、消失していったようです。
都市改造による立ち退きのみならず、大通りに歩道が整備され、そこをそぞろ歩く楽しみが生まれたからというのも、あるのかもなぁ。

Always 三丁目の夕日

ラスト30分。

職のプライド ピンセット職人

卵の黄身がつまめる!外科用ピンセット。

井上真央さん ロスアンゼルス

まっすぐに大人になった感じで、素敵。
ディズニーランド 少年みたいな笑顔のガイドキャストさん。ウォルトの部屋・窓から見えるお客さんの笑顔。これかぁ・・・。いいもの見せてもらいました。