ルーマニア革命から20年

昨日、新星堂店頭で、マイケル・ジャクソンブカレストライブの映像を眺めていると、

次男が、「ブカレストって、どこだっけ?」
ルーマニアの首都だよ。ちょうど20年前のここ数日・このライブのほんの3年ほど前にね、ルーマニアでは大変なことがあったんだ・・・。



今年は、東欧の鉄のカーテン崩壊からちょうど20年。
「20年前の今日は、こういう出来事があった」という記事が、しばしば新聞に載る。


2-4月のポーランド円卓会議
5月の、ハンガリーオーストリア間国境開放
6/4には、天安門事件が起きる一方、ポーランド戦後初の自由選挙で、非共産党政権成立が確実になる。
以後、東欧では、ぐいぐいと民主化が進んでいく。
8/19の汎ヨーロッパ・ピクニック
10/23・ハンガリー動乱から33年目の日に、ハンガリー民共和国は、ハンガリー共和国に。
11月のベルリンの壁崩壊とビロード革命
・・・みな、生々しく覚えている。深夜、はらはらしながらTVを見守ったり、新聞報道に驚いたり喜んだり。


ここまで、奇跡的に平和裏に進んできたけれど、
唯一、流血の事態に至ったのが、ここ数日のルーマニア革命だった。

今月17日、1989年12月の政変から20周年を記念する討論会があった。

 「歴史的な爆発だった」。救国戦線評議会議長として革命を率いたイリエスク元大統領が成果を誇ると、「あなたは間違っている」と参加者の一人が遮った。「なぜ(市民と軍が衝突した)西部ティミショアラの惨事に触れないのか。市民の犠牲を忘れたのか」