7月24日の大阪に泊まった際、当初は翌日に神戸の川崎造船所を視察後、市内のホテルで繊維業者と会う予定だったが、広島が大阪から遠くない事を知り、オマール・フェルナンデス大尉とマリオ・アルスガライ駐日大使を伴い宿を抜け出して夜行列車で広島に向かった。25日に広島県庁職員案内の下、広島平和記念公園内の原爆死没者慰霊碑に献花し、原爆資料館と原爆病院を訪れた。
中国新聞の記者であった林立雄が単独取材した。なぜ日本人はアメリカに対して原爆投下の責任を問わないのかとゲバラは言ったという。彼はヒロシマキューバに伝えた。以来、キューバでは現在でも、初等教育ヒロシマナガサキをとりあげている。

なるほど、そうだったのか・・・