創造に、破壊は必須か?

”破壊と創造”なんていう言葉がある。


でも、ほんとうに破壊は、創造につながるだろうか?・・・いや、そうと限らない。
創造には、破壊が必須だろうか?・・・いや、そんなことはない。


特に、物理的破壊は、創造への大きな障害となることが多いのではないか。
”もったいない”


”もったい”=事物の本質 を、巧みにつかみだして、発揮させる。
それが、創造。


壊すべきものがあるとしたら、”もったい”を見えにくくしている、固定観念だ。


物理的破壊が、時折、創造につながることもある。
それは、破壊そのものの功ではなく、固定観念が壊されたからだ。


僕たち日本人は、破局を実体験して、はじめて固定観念を変えることが多い。
固定観念を、現実そのものだと錯覚しているからだろう。
”未知のもの”を恐れるのも、100%を偏執的に追い求めるのも、根はここにある。


”定義”を吟味しろ。
”ありのまま”を把握しろ。
”戦略”を立てろ。
そうすれば、破局なんて経験しなくても、創造できる。

リーダーにとって大事なのは「聞くこと」と「聞いたアイディアを結びつけること」、そして「創造的な人たちが話し合える雰囲気を作ること」の3つ。

 私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。
「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。そしてそれから現在に至るまで33年間、私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。
 自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。
 君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない理由など、何一つない。

 問題に直面した技術者は、ときに煮詰まってしまうこともある。視野が狭くなって原因を決めつけてしまうこともある。その「決めつけ」こそが、技術開発の最大の敵だと、渡辺は考える。「決めつけ」にかかった部下を前にしたとき、渡辺は、あえて突拍子もないことや常識ハズレの提案をする。そのこころは、頭をマッサージするということ。部下が柔軟な発想ができるように、冗談めいた提案をふっかけ、ほかに手段がないか考えさせるのが、最高技術責任者としての渡辺の流儀だ。