本日のYouTube
実は、”天使にラブ・ソングを・・・”も”天使にラブ・ソングを2”も未見。
未見にもかかわらず、とっても耳なじみがある。当時、ラジオでがんがんかかってたもんなぁ。
素晴らしいなぁ・・・
1992/1993年の映画なんだねぇ。
振り返ってみると、この映画が、ヒップホップが幅広く受容されるきっかけになったと言えそう。
TDLで”ミッキーマニア”を開催したのが1995年春だそうだから、アメリカで開催されたのは1994年なのかな?
本作品は、ハリウッド史上初めて、ヒットした前作の続編をアフリカ系アメリカ人が監督したという歴史的意義を持っている。
そうだったのか!
12/24追記
WikiPediaのヒップホップ音楽の歴史 を読むと、
1993年ごろから、東西対立なんてのがあって、MCが銃撃事件で亡くなったりもしてるんだなぁ・・・
東西の対立
ニューヨークのシーンがヒップホップの主流に独自性を見せて再浮上したことは、すぐに東海岸と西海岸、そしてそれぞれの主要なレーベル同士の避けられない対決を大量に生み出した。売り上げの対立関係は、最後には個人的な対立関係へと変わり、ヒップホップの歴史の中でも過去に例を見ない惨事へとつながっていく。
それを知った上で、あらためて”Joyful Joyful”の動画を観ると、涙がひときわ。人の本質は愛なのに、音楽はすべてをつなぐこともできるのに、なんで殺しあわなきゃいけないんだ?!?