ありのままを観る
ひとのこころは、無意識のうちに、
”心理的負担を、減らそう”というふうに働くんだそうです。
社会心理学の実験で・・・
同じ仕事を、
Aグループは、休憩時間たっぷり・給料も多く、
Bグループは、きつい労働条件・少ない給料。
さて、どちらのほうが、「意義のある仕事だった」と想うでしょう?
・・・Bグループ。
”割に合わないことをやった”という心理的負担を、”いや、意義は大きかった”と思い込むことで、楽になろうとするんだって。
逆にさ、
他人にきつい仕事や、意義深い仕事をしてもらうと、”申し訳ない”という心理的負担が生じるじゃん?
それを消すには。
”あのひとは、そういうきつい仕事をして当然のひとなんだ”と、思い込めばいい。
歴史的にも、今の社会にも、観察すればそんな実例、そこここに転がってます。
江戸時代の部落差別もそう。現在のワーキングプアの問題もそう。李氏朝鮮では、医女や僧侶や芸能人は奴隷身分だったみたい。
理不尽な扱いを受けたことのあるひとは、ありのままを観る目さえてば、こういうくだらない思い込みを、見抜くことが出来る。
そうじゃないひとは、しっかり意識しないと、この錯覚の存在に気づかないかも。すると、ほんとの意義はどのくらいだったのか・どこに感謝しなにに手を加えれば全体がうまく行くのか、見誤ってしまう・・・。