火傷の名医として知られる病院だが、実は原爆投下以前は消化器科専門病院だった。原爆により重度の火傷患者が大量に発生したため、先代院長は必要に駆られて火傷の治療法を習得したのであるが、最終的には、その名声を頼って長崎からも被爆者が来院するほどとなった。


(因みに、病院名の「長崎」は院長の苗字で、長崎県長崎市とは無関係)


また、被爆以外での重度の火傷患者も多数救済された。2000年に神戸市で発生したテレクラ放火殺人事件において、自らも火傷を負った犯人の一人が、長崎病院に治療に訪れたところを逮捕されたことでも有名である。


この時、兵庫県警から「犯人の一人が火傷を負ったまま、山陽方面へ逃走中」との連絡を受けた広島県警は、真っ先に長崎病院に捜査員を張り込ませた。また、犯人逮捕時、報道では長崎病院の名は伏せられたが、広島市民は皆、「ああ、長崎厚生堂で捕まったんじゃろう」と思ったと言う。