25周年

25周年は、馬鹿騒ぎではなく、芸術的なものになる。
・・・らしい。


それはとっても嬉しい!
ならば、ファンサイトの評論も、自分の存在の根底に触れるような、深いものになるだろう。


きれいだ、かわいい、つまらない、おもしろい。
そこをさらに掘り下げて、
どんな美を感じたのか、なにが真の望みなのか、どんな変化が自分におきたのか。


それは必ず、ひとりひとりみな違う。
私はそうは想わない、こんな風に感じた。
率直な意見が飛び交ってこそ、発見は深まるはずだ。
賞賛と、ブーイングとを、率直に表現する覚悟はあるか。
音楽・写真・絵画・演劇・小説などの評論のように。



どんなひとでも、ひとつのショーを
「こんなに素晴らしい!」という立場で語ることも、
「こんなにつまらない!」という立場で語ることも、できる。


そして同時に、
今の自分は、「素晴らしい」と感じた。
今のあのひとは、「つまらない」と感じた。
どちらも真実。
意見の違いに、快感や不快感を覚えるなら、そこにはなにか必ず発見がある。


果たして私たちいわゆるディズニーファンに、
その率直さと度量があるか。
芸術は必ずしも、快いばかりではない。
快も不快も、受け入れ・味わい・自分の真実を発見する覚悟が、あるか。
それが25周年の成否を、決めるだろう。


ある。準備は既に出来ている。
僕は、そう感じる。