根性より新庄

「傾奇者」とは? 投稿者:みゅ 投稿日:2006/10/27(Fri) 12:55 No.9580


「男の世界は男を立てることからはじまる。
立てるとは行為や現象の度合いを際立たせ、目立たせる意味である。
他でもなく<男伊達>をさす。
精神的に意気を競い、派手に振舞うことである。
時代によって呼称も内容も異なるもののその本質は変わらない。安土桃山時代には<かぶき者>といった。異様、異端な身なり、
奔放な行動、ふざけ、たわむれなどの意を含むが、
元来は”傾(かぶ)く”こと、つまり傾いているわけで、
ひと口に曲がっていると理解していい。


参考サイト 「傾奇御免」http://keiji-yz.hp.infoseek.co.jp/index.html

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若者・馬鹿者・よそ者 みゅ - 2006/10/27(Fri) 12:58 No.9581

何かを変えようと思ったら「若者、よそ者、馬鹿者」が必要だと。
つまり、常に新鮮な感度の良い発想、外部の意見の尊重、
とことんやり遂げる狂気にも似た強く一心な心を指すようだ。
3つのうち特に最後は、何かを為すためには不可欠な要素だと感じる。
皆がどう生きたらよいか迷うような時代であればこそ、余計にそう思う。

 プロ野球日本ハム新庄剛志選手は引退会見で、「ユニホームを脱いでも新庄は新庄」と話していた。

 その言葉の調子に、ふと思い出したのは、新庄選手のお父さんのこんな言葉である。「根性より新庄」

 オヤジギャグでありながら、人生訓になっているところがミソだ。

 ぼくは「新庄ファイル」を作っているが、そのファイルを開き、改めて新庄とは?と考えてみた。やはり基本は「カッコイイおれ」であろう。

(中略)

 笑顔を絶やさず、ファンに愛され、夢を達成して男泣きし、カッコイイ自分に酔いしれる。いいよなあ、新庄は−−。昨今、居酒屋でのお父さんらの話題は、もっぱら新庄流生き方だ。話は決まって今後の新庄を予想する展開となるのだが、先夜は隣席からこんな声が聞こえてきた。

 「新庄は新庄だと言っても、カッコよさで押し通せなくなった時、どうするかだよな」

 「そう、そこだ」

 ぼくはつぶやいていました。(その時は、新庄より根性なんでしょうね)(専門編集委員

毎日新聞 2006年11月1日 東京夕刊

ん?
・・・「カッコよさで押し通せなくなった時」が、果たして来るのだろうか。
年をとろうが、肉体が衰えようが、半身不随になろうが、カッコイイ奴はカッコイイ。


かぶき者には、ビジョンがある。明確な絵が。斬新でみながハッピーになるような絵が。
「札幌ドームが超満員になったら、凄いぜ!」
・・・それをかたちにする。だから、カッコイイ。


カッコよさを押し通せなくなる時が来るとしたら。
それって、絵が描けなくなったときなんじゃなかろうか。