至高体験 感情と情感

前項7.は、さらに2つの解釈が出来ることに気づいた。どちらも実は同じことなのかもしれないが・・・。

  1. 心理学者のマズローが説く、自己実現した人の特性のひとつ。

5.「孤独、プライバシーを好み、欠乏や不運に対して超然」としている。

  1. 私の大好きなホームページ、私の宗教的体験・・・高校の倫理社会の教師だった方が書かれています

しかしこの5人のように信念型の人間の評価は「絶対評価」だから、逃げ道がない。投入されたエネルギーは「欲求不満」状態のまま内部に残り、「エネルギーの凝滞」が深刻なレベルに達してしまう。
そして、この凝滞の人並みはずれた深刻さが、暗から明への劇的な転換をもたらすのだ。凝滞していたエネルギーが多ければ多いほど、それが解放されたときの光明感覚も大きくなるのだ。

後者の体験を突き抜けてきているからこそ、前者のように超然としていられるのかもしれないなぁ。


この先生は、なぜこの解放が起きるかを、「感情」と「情感」という言葉で巧みに説明されています。私が「感情と感性」と説明したことと、相通じるなぁ・・・。

「感情的」と呼ばれる状態になるのは、個体エネルギーが狭いところに押しこめられたからであり、女性が感情的だとされる理由も、彼女らが社会的な制約から、男性より狭小なエネルギー野しか与えられていないからだ。
「社会的人間」という枠を離れて「自然人」の立場に移行すると、感情野のかわりに「情感野」が出現する。同じ状況に置かれても、感情的反応はそれぞれの境涯によって異なるが、情感の方には個人差がほとんどない。
私達は考えるともなく物を考えていることがある。知らず知らず無念になって景色を眺めていることがある。そのうちにふと我に帰って日常意識の中に立戻るのだが、我に帰る以前に心にあったものが情感なのだ。

以後、是非元記事をお読みください。引き合う体験がある人には、きっとわかるはず。