福はどこに来る?

毎日新聞朝刊より。

 ある学校の先生から聞いた実話である。
 近所の玄関先で大きな声を出す障害児がいて、迷惑がられていた。その先生の家にも来た。たしかにうるさい。しかし、「あっちへ行け」とも言えず「元気そうで、いいじゃないか」と思うことにしたら、その先生の家にばかり来るようになったという。
 あるとき、近所一帯が空き巣に入られた。ところが、先生の家だけは無事だった。「いつも人の声のするところには泥棒は近寄らないのでしょう」と先生は言う。
(中略)
人の声がするところに悪意は入り込みにくいものだ。親たちが忙しいのなら、お年寄りが地域に出て、いつも人の気配がある街づくりに一役買ってはどうだろう。

 認知症のおばあちゃんが早朝深夜に徘徊(はいかい)し、何かとトラブルを起こしている地域を知っているが、やはり空き巣や痴漢の被害は少ない。

迷惑って、なんなんだろうね。
迷惑がっていると、福も逃げていくのかもしれない。


福の神と呼ばれた、仙台四郎さんのことも連想した。
視覚をさえぎったり、聴覚をさえぎることで、他の感覚が開花し、今まで気づかなかった繊細な息吹を感じ取れるようになる。
思考の働きが強いと、同様に見落としてしまうなにか、流れのようなものが、あるんじゃぁないだろうか。