毎日新聞夕刊 暮らしWORLD:ドクター・中松さんと見る「科学者」ダ・ヴィンチ

「最初に頭においてほしいことが二つあります。まず、ダ・ヴィンチとはどういう人ですか?」。それはやはり「モナ・リザ」を描いた画家で……。「多くの人がそう見る。でも、彼は科学者と呼ぶべきなのです。彼自身、自分は絵描きではなく科学者だということを言っています」。そして、もう一つが「レスター手稿とは何が書かれたものか、ということ。このノートは天体と流体力学、そして地球の地殻運動の3本柱で成り立っている。これを押さえておいてください」。ちょっと難しそう……。

 「いいえ、細かい内容は気にしなくて結構。平たくいえば空と水と土。昔の人にとって、身の回りにはこの三つしかなかったのです」

空と水と土。
ウィッシュ!の女神も、この3人ですね。この3つが、世界を形成している・・・という描き方。

ぎっしり書き込まれた極小の文字、文字、そしてデッサン。「ほとばしる才能があふれ出て、書きたいという気持ちで余白を作るのも惜しかったのでしょう」。

(中略)

「当時、発明を実現させることがいかに困難だったかということです。いくら研究しても、彼の知識を理解できる人は500年前にはいなかった。工業水準も低く、歯車一つだって工場のない時代です」。なるほど、日本で考えれば戦国大名が活躍しているころだ。

 熱く語る中松さんがポツリともらした。「悲しいねえ。研究成果を形にしたいが出来ない。だからノートに残した。どんなにかもどかしかったか。沸々と伝わってきます」
(中略)

 「軍事兵器」のコーナーもある。ダ・ヴィンチが兵器開発? 「生活のために稼がないといけない。今のようにベンチャービジネスがお金になる時代ではなかった。国防はどの時代も一国の重要課題。『私はこういう物も作れます』と領主にアピールし、雇ってもらうほかなかった」。ダ・ヴィンチは「兵器は非人間的なもので、その方法を人に知らしめることはできない」との言葉も残しているという。
(中略)

 67年の生涯。研究に没頭した日々は半面、孤独でもあったろう。「周りからみれば、妙なことばかり話す変人だったでしょう。おかしなやつ、と。僕は体験上、よく分かるんですよ」。そう話す中松さんに、これから来場する人たちへのメッセージをもらった。「展示を通じて、研究に生涯をささげたダ・ヴィンチの生き方を感じてほしい。彼はどんな逆境にあっても、観察と克明な記録という作業を死ぬまで続けた。この強い精神力はまさに天才です。その生き方は、現代の私たちにも全く不可能なことではないはずです」

私たちは、やはり幸せな時代に生きているんだと想う。
理にかなった夢をかなえるための条件は、技術的にも経済的にも社会的にも、ダ・ヴィンチが生きた時代とは比較にならないほど整っている。
なんといっても、「夢は実現するんだ」ということを、ダ・ヴィンチという実例を通して、私たちは知っている。