正しさにこだわるひと2

福島に行こうとして、福井行きの汽車に乗ろうとしている人に、「福島と福井は違いますよ」と教えて差し上げたとして。
その人の人格を攻撃しているわけではない・・・ですよね。


もしその人が。
目線をそらし、聞こえないふりをし、「僕にとって福井とは金沢なんだ」とつぶやき、「行きたい場所は人それぞれ」と言い、「僕に対して勝手に話しかけるのは迷惑だ」と叫んだとしたら。
その人は、行きたい場所にちゃんと着くことよりも、「私は正しい」という面子を保つことを大切にしてしまっている。


お父さんの過ちを指摘して、まっとうに受け止めてもらえず、悲しい思いをしている人なのに。
「子供を間違えた汽車に乗せたら、ちゃんと素直に謝らなきゃ」と考えている人なのに。
「本音をぶつけてくれ」と望んでいる人なのに。
「自分は正しい、人も正しい」という生き方に近づきたいと言っている人なのに。


「福井と福島と金沢は違う」ということに、好みも・価値観も・個性も、関係ない。
福井と福島を間違えたからといって、人間の値打ちが下がるわけでもない。


私は正しい=私は満ちている という誤解さえ解けば、すぐにわかることなのになぁ。
お父さんも過ちを指摘されたとき、今のあなたとおんなじ心理状態だったんですよ、きっと。
もしお父さんにメッセージを伝えたいのなら。あなたがまず、その誤解から自由になる必要がある。
外界なんて、所詮自己の鏡。
自己を通して、外界を感知しているから。自己を、外界に投射しているから。
だから、自己が変われば、世界も変わる。



お!katuoさんのコメントがついてるので、お答えしておきましょう。

迷惑がられてまで俺にこだわる理由がわかりません。

katuoさんとお父さんの振る舞いは、「正しさ=満たされる=ひととしてOK」と混同されている、とっても典型的なわかりやすい例だからです。

そんなに自分の意見が素晴らしいとおもうなら、
自分のブログで書けばよいだけだと思うのですが・・・

「正しさと、OKであることと、満たされることとは、それぞれ違う」・・・というのは、私の「意見」でも「嗜好」でもないですよね。客観的事実です。福井と福島が違うみたいに。
そこには、素晴らしいもへったくれもない。
この記事には、僕の意見を表明しましたけれど!


katuoさんの振る舞いを、僕はとっても好ましく感じています。腹も立ってませんし、不快さも感じません。katuoさんのような人、大好き(^^)


katuoさんを矯正しようなんて、さらさら想っていません。
混同してちゃ駄目だとも、どうしなきゃいけないとも、katuoさんは独善的だとも、一切、言っていません。
でも、katuoさんの無意識は、ご自身について、どうやらそう想っていらっしゃるようですね。だから、僕がそう言ってるかのように、投射している。
(”katuoさんの言葉が気に入らないから””きつい言葉を非難”とおっしゃってる方もありましたね。それぞれ、ご自身を僕に、投射しておられるんです。)


僕の狙いは3つありました。
1. 誤訳を指摘すること。
2. 「正しさ=満たされる=ひととしてOK」と混同するとどうなるのか、それを知ることが必要な人に観ていただくこと。
3. katuoさんに、お父さんの心理反応(無視し、論点をすり替え、まっとうに向き合わないことで、正当性を守ろうとする)を追体験していただくこと。


3つとも、かないました。
特に、天然さんが正当性への執着に気づき、ご自身がほんとに望む結果に進まれたのは、嬉しかった!!!katuoさんのおかげです。ありがとうございました!
katuoさんご自身も、ぜひ、katuoさんが心から素敵だと想えるお父さんとの関係を、手になさってください。katuoさんがおっしゃっている通り、ポイントは「育て直し」でしょう。うまく進む事を、こころから祈っています。