自分の「ものの観方」を変えれば、世界は変わる

私たち人間はつい
「想い通りにいかないのは、他人のせいだ、環境のせいだ、外界のせいだ!」
・・・と、考えてしまいがち。
そして、他人を、環境を、外界を、変えようとする。


ところが、他人は、環境は、外界は、自分の思い通りに変わってはくれない。
「変わってくれないなんて、ひどいっ! なぜ私の望みを、かなえてくれないの?私の望みは、こんなにも正当なのにっつ!!!」


でもね。
他人も、環境も、外界も、べつに僕の望みをかなえる義務は無い。
それぞれに、それぞれの望むベストを追いかける権利がある。


理論武装したり、力を手にして無理やり従わせたり、策略をめぐらせたり。
するとシンボルは手に入るかもしれない。
でも、他人が、環境が、外界が、望んで協力してくれているのでなければ、すべてはむなしい。
そのむなしさを感じないふりをしていたとしても、いつしか体が痛んでくる。精神が蝕まれる。desire(欲望)に、自分がのっとられてしまう。


幸いなことに。
私たちは、望むように変えることが出来る領域を、世界から預かっている。
それは自分自身。
そして、自分の、ものの捉え方が変われば、世界はまったく違って見える。体験がまったく変わる。やがて、起きてくる結果も望むように変わってくる。


自分のものの捉え方を、どう変えればいいのか。
そのヒントは、今起きている結果にある。
それが気に入っているにせよ、気に入らないにせよ、
実はすべて、自分が無意識に望んだ結果、こうなっている・・・という見方をしてみる。
それがスタート。そこから、糸口が見える。

一見、相手がした事で怒ったとしても、よく考えると、私が無意識のうちに怒ろうと思ったから、怒っているのです。正確な事実は、私が私を怒らせているのです。(怒らないことも選択できるのです。)
同じように、本当の所は、
私が私をこわがらせている。
私が私を悲しませている。
私が私を不幸にしている。
私が私を悲劇の主人公にしている。 のです。


心をまっすぐにし、大切な夢を見つけ、wishする。
すると、ちゃんとかなうべき夢はかなう。より大切な夢が見えてくる。
desireに堕ちなくても。

desireはおねだり。wishは自分のエネルギーを世界に与える行為。
desireは自分は欠けているという意識から、wishは自分は満ちているという認識から来ている。
desireは不信から、wishは信頼から来ている。「かなうべき望みは、いつもかなえられている」という信頼から。

desireは、I am not OK. という捉え方から、wishはI am OK.という自己像から生まれるとも言えます。そして次項につづく・・・。