道とつながる

今日の毎日新聞夕刊に、印象的なコラムが2つ。

青、薄墨、白、薄紅色……と幾重にも重なった空の色。夕日に向かって、シルエットの少年たちが拳を振り上げている。幻想的な写真だ。
(中略)
……この写真の「オープン・ザ・ドア!」は、僕が知る限り、最も挑戦的で、最も過酷な、最も愛情に満ちた体験教育だった。

中学生が、マウンテンバイクと野外キャンプを学び、太平洋から日本海まで約600キロを“自力走破”する。

地図とコンパスを頼りに、ひたすらペダルを踏む。道を間違えたら、もう一度出直し。大雨、突風、霧……次々に彼らを襲う難行苦行。大人たちは「彼らから見えないところ」で伴走する。

海岸を走り、山ろくを走り、霧の富士山頂。それからは……十二ケ岳のロッククライミング疲労困ぱいの麦草峠越え、横谷渓谷・激流の沢登り……難所が続く。挫折寸前の少年が出ると決まって互いに励まし、助け合う。そして、ついに……。

 初めはロクに話も出来なかった子供たちが“信頼できる仲間”に成長して日本海にたどり着く。キラキラした瞳。その瞬間を撮った写真だ。

 秋、彼らは再会。妙高山を縦走して「自分の目標」を発表する。豪雪の冬、再び会って雪中泊。“変われる自分”を発見した彼らは、学校に帰っていく。

惰性の延長には、突破も無ければ友情も無い。
限界への挑戦。より素敵ななにかの探求。大自然との対話・今あるすべてとの対話。

 忘れられない「痛み」がある。長崎支局員だった被爆50年目の夏。関係取材に追われ、帰宅した夜だった。小学生の息子が下校途中に立ち小便をし、居合わせたお年寄りに怒鳴られたらしいと、妻が話した。「何で帰るまで我慢できんのかねえ」と妻。「ハハハ」と私。だが後日、町内の別のお年寄りが妻に話してくれた。「あの日、爆心地に近かったこの町では、至る所で一瞬に多くの人が亡くなったの。その意味では、街のすべてが墓所なのよ」と。

 恥ずかしかった。被爆問題を取材しながら、そこに思い至らない薄っぺらな自分が。「ハハハ」と笑った声が、自分に返ってきた。「今につながらない歴史はない。大事なのは、学ぶ気持ちだ」。亡くなった高校の恩師の言葉をかみしめている。

多種多様な意味が重ねられている、この世界。
開いているからこそ、メッセージがつかまえられる。