答えはどこにあるか(編集中)

いくつかの記事が目に留まり、それらに全部関係した記事が見えてます。天然さん向けのメッセージになるかな。
骨子をまず見出しの形でメモ。
関連記事を引用しながら、ぼちぼちと書いていきます。

  • 直感
    • 真に新しいアイディアは、外から降ってくる

ブログを書くようになってから、天から書きたいことがふってきてそれを自動書記のように書き留めるっていう感覚的体験をたくさんしたので、アイデアとか書きたいことがそういう風にこなければ書かない、くれば書くっていうようになった。
これのおかげで、なんとなく自分の脳みそと宇宙がパイプでつながっているのかなあ、なんていう体験をしたので、今はそのパイプを太くするように努めたり、パイプのつまりをなくしたりって言うことに努めて生活しているのかもしれない。もともと絵を描く時にこういう感覚はあったのだけど、これは絵を描く時のことだけだと思っていたのだが、それは別に行動一般でも共通することなのだ、と理解したのはブログを書き始めたからかな、と思う。
(中略)
心の声に従ってやっていればだいたいは大丈夫だということがよく分かったので、

正確には「心の声」というよりも、「魂の声」ですね。


「心の声」って、固定観念や思い込みに左右されます。
ありのままが観えて来ると、「魂の声」が聴こえて来る。


そして、自分の魂は、魂全体とつながっている。
自然全体から、あるエッセンスを抽出したものが、自分の魂。


パイプを太くする作業って、心の声のゆがみに気づき、魂の声に近づいていく作業だ・・・と言えるのではないでしょうか。

    • 「石の中に、木の中に、彫像が埋まっているのが見える」

# ラスカル 『実際のところ自分がセッティングしている気がしないから・・・
人にも自分の居場所があるように、物にも居場所が決まってるように感じるからでしょうね!
その空間に居る人にやさしい 居場所を探してあげる ようなイメージですかね・・・』
# 天然 『成るほど。植木を置いたとき、しっくりしました。心の中で、「よし!!」って声が聞こえました。「う〜〜ん、このバランスって、美の基本だ」とも思いました。

  • 自己中心的であることへの恐れ

エントリを書く時に書き始めた当初は書きたいことがあったらばーーっと書いて殆ど推敲などせずに一気に書き上げてしまったものだし、それでエントリの内容自体も今から見てもやはりできがよいものが多いみたいなことを言っていた。最近はアクセス数が伸びたらいいな、とか、沢山エントリを書きたいなとかって邪心が出てきてとてもそんな書き方はできなくなったと言っていた。

  • 自分の感性が研ぎ澄まされたとき、自分は居なくなってる。

>肩に力が入ってなかった。
間違いないです。ついに「ボールをバットの芯でとらえた」んだね!おめでとう!!!

自分の本質とともにあることで、ありのままを感じたとき、最高に自分らしい答えが見出せます。それは魂の答え。
そして不思議なことに、その瞬間、自分は居ない。その答えには、普遍性がある。

普遍性のある答えを求めるがゆえに、自分の存在を消そうとしても、うまくいかない。自分の心を探求し、自分の魂に触れ、最高に自分らしい答えを見出したとき、自分が消えてるんです。

    • センタリング
    • 悟る

自分が、ありのままの世界とともに、ここにいる。
その実感を持てているとき、アメリカ人も、イスラム教徒も、女性も、風も、土も、みな自分同様、世界を構成する要素。みな自分同様個性的。みな自分同様移り変わる。響きあう。


5年ほど前だったか、「悟るとは、差を取ること らしいですよ」と教えてくれた人が居た。これは大きなヒントになった。自分と世界とは、実はひとつづき。世界のエッセンスを個性的に集約したのが、ぼくであり、あなたであり、それであり、あれ。


そう捉えられているときには、伸びやかで自由。そして、損得や利害の調整が、変な色づけなくスムースに出来ちゃう。まだ、常時そんな風に捉えられているわけではないけれど・・・。

もうひとつ関連記事 遮断と統合 分かると悟る・・・わ、こちらは要約できないや。全文引用になっちゃうな(^^;

  • 選択
    • 真に選択したとき、答えは最初からひとつ。

そうして導き出された答え、形になった素敵さは、唯一無二。世界にひとつだけの花。
ほんとうに大切なものって、たぶん比較で語れない。
比較で語れるようなものって、たぶん真に大切な価値ではない。

  • 夢を描き、かたちにする

http://d.hatena.ne.jp/BigLove/20041027