生きる目的

幸せになることは、生きる目的に成り得ない。
「私の存在する目的は青になることです」という信号機が、在り得ない様に(^^)


幸せ・不幸せは、信号機の青・赤のようなもの。自分自身の状態・在り方・モード。
何の前提条件も無く、いきなりどちらの状態にもスイッチできる。自分の意思ひとつで。心ひとつで
今、この瞬間、自分次第でぱっと手に入ってしまうようなものが、人生の目的だったら悲しいよね(^^;

神は人間の幸せを望んでなどいない。
神が人々の幸せを願うならば、みんな幸せになれるであろう。
では、なぜ人生に悲しみや苦しみがあるのだろう?
それは、人間が悲しみや苦しみを乗り越えて、成長することを
神が望んでいるからだろう。

ちょこっと異議あり(^^;
と、いうのは、人生最大の悲しみが、同時に、人生最大の幸せだった経験が、僕にあるから
幸せと、悲しみ・苦しみは、対立概念ではない。悲しみ・苦しみは、幸せの妨げにならない。


僕も、人生の目的は、成長することだと想う。
では、成長とは何か。
素晴らしさを磨き上げること。美しさを見出すこと。真理を理解すること。より素晴らしいことが為せるようになること・・・etc。
それを無理やり一言で言うと。
「世界の美しさを深めること」・・・今の僕は、こういう言い方をしています。だから「素敵志向


なにに執着するか。どんなとき幸せになり、不幸せになるか。それは自分のこころのシグナル。ただし、得てしてねじくれてて、深い欲求とは正反対だったりもする。
自分をよーく観察し、こころの仕組みを読み解いていくと、だんだん深いところで求めているものが観えてくる。そうなってくると、執着も、幸・不幸も、enjoy!できちゃう。どちらに歩めばいいのかを示す、シグナルにもなってくれる。
やがて・・・幸せに、そして幸せのシンボルに、あまり執着しなくなる。それらは本質ではないって判ってくるから。


でね、この自己探求の過程で「素敵」というキーワードを使うと、固定観念や執着やこころのねじれに、影響されにくいみたい。


さぁ、だいたいキーワードがつながったなぁ(^^)
あとは、愛について記事を書けば、今、僕に見えてることは、大体語り尽くせちゃうな。
それは、愛がすべてを、はしょらずにしっかり書き込んだものになるはず。

自分を、そして世界を、特定の視点からのみ観、反する側面を抑圧し、観念どおりに世界をコントロールする。それが今、如何にたくさんの問題を生み出していることか。個人の中に、そして社会に。その投影がEP1-3。
自分の、そして世界の、ありのままの姿を、陰も陽もすべて観、喜びも苦しみもそのまま味わう。これが本質を明らかにする道。その過程がEP4-6。
そして、恐れも愛から生まれていることに気づき、陰も陽も本質は愛だと理解したとき、すべての存在と機会を活かすことができる・・・というお話が、EP7-9になるはずだったんではないかなぁ。

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